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城名 | 白河小峰城(別名:白河城、小峰城) | ||
住所 | 〒961-0074 福島県白河市郭内1番地 |
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入場時間 | 園内は自由 三重櫓は午前10時〜午後15時 休城日:無休 |
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入場料 | 無料(復元を募る募金あり) | |||
指定文化財 | 市指定史跡 | |||
城郭構造 | 梯郭式平山城 | |||
天守構造 | 三重櫓(複合式望楼型3重3階 1632年築・1991年木造復元) | |||
築城主 | 結城親朝 | |||
築城年 | 1340年(南朝:興国元年、北朝:暦応3年) | |||
主な改修者 | 丹羽長重 | |||
主な城主 | 結城氏、蒲生氏、丹羽氏、松平氏、阿部氏 | |||
位置 | 北緯37度7分57.91秒 東経140度12分49.56秒 |
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地図 | 1 | 三重櫓 | ||
2 | 前御門 | |||
3 | 富士見櫓跡 | |||
4 | 雪見櫓跡 | |||
5 | 道場門跡 | |||
100名城 スタンプ |
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【沿革】 白河小峰城は南北朝時代、結城親朝が興国元年(1340年)小峰ヶ岡に城をかまえて小峰城と名付けたのがはじまりといわれている。 寛永4年(1627年)丹羽長重が十万石の城主として棚倉藩より移封され、幕命により同6年城郭の大改築に着手、4年の歳月を費やして同9年に完成。江戸時代における代表的な梯郭式の平山城である。その後、榊原、本多、奥平松平、結城松平、久松松平、阿部と七家二十一代の城主の交代があったが、慶応3年(1867年)最後の阿部氏が棚倉藩へ入封された後、白河は幕府領となって城郭は二本松藩主丹羽氏のあずかるところとなり、同4年5月、戊辰の役の攻防で落城した。 【感想】 JR白河駅のホームから見えるこの城は、思ってた以上に高い石垣の上に建っていたのが意外でした。 天守は御三階といわれる三重櫓で代用しています。 |
スタンプ 設置場所 |
白河小峰城三重櫓受付 | ||
登城日 | 2008年11月2日(日) | |||
LINK | 白河観光協会HP |
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白河小峰城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【織三つ巴】 (藤原氏秀郷流) 結城家家紋 |
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【直違い】 (武蔵七党児玉党) 丹羽家家紋 |
【JR白河駅ホームより三重櫓(ズーム)】 | 【門から見た三重櫓】 ただの車の出入り口か? |
【本丸石垣と堀】 二の丸東端より撮影 |
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【二の丸小峰城址碑】 | 【清水門前より西側石垣と堀】 | 【清水門】 入って左は桜門跡へ、右は前御門へ |
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【桜御門跡の虎口】 枡形を形成。 |
【二の丸全景】 | 【三重櫓と前御門】 桜門跡付近より |
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【本丸南西の富士見櫓跡】 | 【本丸西側石垣】 | 【本丸北西の雪見櫓跡】 | |
【丹羽長重公築城址碑】 | 【三重櫓】 本丸の北東隅に建つ三層三階の櫓で、その雄姿は奥州関門の名城にふさわしい外観を呈していた。 |
【おとめ桜と供養碑】 初代白河藩主丹羽長重は、幕府の命により小峰城の大改修を行い石垣造りの城郭を築きあげました。 その際、本丸の一角にある石垣が幾度となく崩れてしまうことから、人柱を立てることになりました。たまたま父に会うためにやって来た藩士和知平左衛門の娘「おとめ」が、不運にも捕らえられ人柱となったと伝えられています。小峰城完成後、人々はおとめの不意運を哀れんで桜を植え、これが「おとめ桜」と称されるようになりました。 でも他の桜と同じくらいの背丈なんですよね・・・ |
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【本丸御殿跡】 | 【本丸より三重櫓】 | 【前御門前より三重櫓】 | |
【三重櫓と前御門】 | 【前御門】 前御門は別名「表御門」ともいわれ、名称の示すように本城に東面する正門として、裏門にあたる桜御門と共に本状を守護する要所に位置する。 |
【前御門と三重櫓】 | |
【三重櫓からの眺望】 | 【三重櫓からの眺望】 北側濠 |
【三重櫓最上部内部】 | |
【連子窓】 連子とは、菱形に木材を堅に並べた窓で、ここでは、すべて漆喰の塗籠格子である。外部から内部が見透かされないことと少しでも矢弾を防ごうとする目的から作られた。 |
【道場門跡】 城とは線路を挟んで反対側にある遺構。 石垣跡がL字型になっていて大きいことが伺える。 |
【道場門跡】 |