城名 米沢城(別名:舞鶴城、松ヶ岬城)
住所 〒992-0052
山形県米沢市丸の内1-4-13
入場時間 稽照殿(けいしょうでん)
午前9時30分〜午後4時(入館は午後3時45分まで)
開館期間:3月下旬〜11月25日
※雪灯篭まつり期間:2月第2土日は開館
入場料 稽照殿(けいしょうでん)
一般700円、高大生400円、小中生300円
指定文化財 史跡
城郭構造 輪郭式平城
天守構造 代用天守:御三階櫓2基(層塔型3重3階)
築城主 長井時広(伝)
築城年 暦仁元年(1238年)頃
主な改修者 伊達晴宗、蒲生郷安、上杉景勝
主な城主 長井氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏
位置 北緯37度54分34.62秒
東経140度6分18.52秒
100名城
スタンプ
スタンプ
設置場所
米沢観光コンベンション協会観光案内所
【沿革】
米沢城が最初に築かれたのは、鎌倉時代中期の暦仁元年(1238年)と伝えられる。鎌倉幕府の重臣・大江広元の次男・時広が出羽国置賜郡長井郷の地頭として赴任した際に築城されたと推定されている。時広は赴任地の地名から長井姓を名乗った。以後、長井氏の支配が150年近く続いた。

8代広房は室町時代初期(天授6年(1380年)、応永9年(1403年)、応永20年(1413年)などの説がある。)に、伊達宗遠に侵略されこの地を追われた。以後、安土桃山時代までここは伊達氏の支配下に入った。天文17年(1548年)伊達稙宗・晴宗父子の対立である天文の乱を経て、晴宗は本拠地を桑折西山城より米沢城に移した。

天正17年(1589年)政宗は蘆名義広を破り、蘆名氏を滅亡させると黒川城に本拠を移し、晴宗の弟にあたる宗澄ついで宗清を城代に据えた。しかし、翌年には本拠を米沢に戻した。天正19年(1591年)政宗は豊臣秀吉の命により岩出山城に移った。

置賜郡は伊達氏代わって会津に封ぜられた蒲生氏郷の支配するところとなり、重臣・蒲生郷安が米沢城主となった。郷安はこの時、城の改修を行っている。慶長2年(1597年)氏郷の子、秀行は下野国宇都宮に移封となり、会津には越後国より120万石で上杉景勝が入封し、米沢城主には重臣・直江兼続を置いた。


【感想】
米沢城自体の遺構は数少ないが、米沢市内を見て回ることにより上杉統治下の様子を垣間見えてとても良い旅になりました。
天地人効果もあり来訪者が多いですが、ツアーの方はメインの場所のみの用なので、混んでいても市内はゆっくりと見て回れます。
駅前でレンタサイクル借りると便利です。
登城日 一回目:2009年4月30日(木)
二回目:2023年5月4日(木)
LINK 山形県公式観光サイトやまがたへの旅〜米沢城址〜
米沢城-Wikipedia
城主家紋  【一文字三つ星】
(大江氏流)
長井家家紋
【竹に二羽飛雀】
(藤原氏山陰流)
伊達家家紋
【対い鶴】
(藤原氏秀郷流)
蒲生家家紋
【竹に二羽飛び雀】
(藤原氏勧修寺流)
上杉家家紋

【上杉神社正面参道】
米沢上杉祭り開催中ということと天地人効果でかなりの人出です。
【舞鶴橋】
上杉神社正面参道に架かる橋。
【米沢城東側土塁と濠】
【上杉神社正面参道】
舞鶴橋を渡った場所、左手側には祠堂跡があり、右手側には謙信像がる。
【上杉謙信祠堂跡】
謙信公の遺骨を納め祀っていた場所。
明治5年に謙信公と鷹山公を合祀した上杉神社が創建された時に、遺骨は上杉家御廟所へ移された。
御堂は、長命寺の本堂として移築され現存する。
【招魂碑】
【上杉(治憲)鷹山公銅像】
上杉家十代当主で米沢藩の財政の再建を果たした。
【鷹山の碑】
なせば成る なさねば成らぬ 何事もl
       成らぬは人の なさぬなりけり
【伊達政宗誕生の地碑】
【上杉謙信公像】 【鷹山の碑】
なせば成る なさねば成らぬ 何事もl
       成らぬは人の なさぬなりけり
【上杉(治憲)鷹山公銅像】
【従三位上杉曦山公】
曦山(ぎざん)公とは上杉家十三代斉憲の号。
【米沢城北東側濠】 【米沢城北側濠】
【北口】 【上杉神社一の鳥居】
【上杉神社参道】
参道の脇に上杉家臣団の幟が立つ。
【能舞台】 【上杉神社ニの鳥居】 【上杉神社唐門】
【上杉神社灯篭】 【上杉神社拝殿】
謙信公を祀る神社。
【稽照殿(けいしょうでん)】(宝物殿)
上杉謙信、上杉景勝、直絵兼続の鎧等上杉家にかかわる資料を展示している。
【池】 【福徳稲荷神社】
上杉神社北側にある。
【米沢城西側土塁と濠】
上杉神社裏手
【西口】 【春日神社】
上杉神社南側にある。
【菱門橋】
米沢城南口
【松岬神社】
米沢城本丸の東側にあり、直江兼続を祀る神社。
【松岬神社拝殿】 【松川河川敷】
米沢上杉まつりイベント会場
【上杉家廟所入口】
上杉家初代〜十二代当主を祀る。
【上杉家廟所-説明板】 【上杉家廟所】
【上杉家廟所左側】
右側より二代景勝公、四代綱勝公、六代吉憲公、八代宗房公、十代治憲(鷹山)公、(世子 顕孝公)、十二代斉定公
【上杉家廟所中央】
初代 謙信(輝虎)公廟所
【上杉家廟所右側】
左側より三代定勝公、五代綱憲公、七代宗憲公、九代重定公、十一代治廣公
【二代 景勝公廟所】 【十代 治憲(鷹山)公廟所】 【法音寺】
上杉家菩提寺
【春日山林泉寺】 【林泉寺山門】 【林泉寺本堂】
墓所には歴代藩主夫人や一族の墓、直江兼続夫妻の墓、武田家滅亡の際姉菊姫の夫景勝を頼り、上杉家に身を寄せた武田信清(信玄六男)の墓などが祀られています。
【直江兼続とお船の方の墓】
向かって左が兼続の墓、右がお船の方の墓
【甘粕備後守景継の墓】 【武田大善太夫信清の墓】
【ふれあし観音】 【上杉家墓所】 【甲州夫人菊姫の墓】
景勝公の妻の墓
【仙洞院の墓】
景勝公生母の墓
【お豊の方の墓】
鷹山公側室の墓
【堂森善光寺山門】 【堂森善光寺本堂】 【堂森善光寺鐘付堂】
【慶次の力石】
前田慶次が力試ししたと伝えられる安山岩の石。
【前田慶次供養塔】
前田慶次が慶長17年(1612)6月4日(諸説あり)に死去し、埋葬されたのが堂森善光寺と北寺町の一花院(廃寺)とされているが定かではない。有力な埋葬候補地とされる善光寺では昭和55年に慶次の供養塔を建立した。
【慶次清水】
前田慶次が晩年暮らした屋敷「無苦庵」の飲用水として掘られた約100uの広さをなす泉は、地域の農業用水として現在も機能し、傍らには水神様が祀られている。
【善日千勝院看板と桜】 【善日千勝院本堂】
上杉謙信以下歴代城主の祈願所、謙信の守り本尊である刀八毘沙門天を祀り、戦勝を祈願した。
【刀八毘沙門天像】
大河ドラマの「天と地と」を記念して建立された。




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