城名 上山城(別名:月岡城)
住所 〒999-3154
山形県上山市元城内3-7
入場時間 開館時間:午前9時〜午後4時45分
休館日:7月第3週月〜金曜
入場料 大人:400円、高校・大学生:350円、小中学生:50円
(団体割引あり)
指定文化財 史跡
城郭構造 平山城
天守構造 不明(鉄筋コンクリート造り模擬)
築城主 武衛義忠
築城年 1535年
主な改修者 松平(能見)重忠
主な城主 上山氏、小簗川氏、藤井松平氏
位置 北緯38度9分26.99秒
東経140度16分34.28秒
地図 本丸跡(月岡神社)
ニの丸跡(模擬天守)
鐘楼
沢庵桜
沢庵桜母樹
【概要】
上山城は、室町時代の応永年間初期(1400年前後)に、羽州探題で最上氏の祖、斯波兼頼の曾孫里見満長が初めて着封、上山殿と称し、虚空蔵山に山城を築いたのが初めとされ、当時は高楯城または亀ヶ岡城とも言われていた。

永正11年(1514)には、伊達稙宗に攻略され、翌年和睦し返還、五年後に再び攻略されたが、天文4年(1535)満長の子孫武衛義忠が挙兵して奪還した。
同年高楯城を廃して、新たにこの地天神森に平山城を築き、月岡城とも称した。

その後、城主は武衛氏三代、里見氏、元和8年(1622)最上家改易後、能見松平氏、蒲生氏等を経て、土岐氏二代が領した17世紀の後期には、城郭として最も整備され、白壁の城壁をめぐらし、後景には四季折々の緑や紅葉に映えた上山城は、小藩(二万五千石)ながら奥羽の名城と称されていた伝えられている。
しかし、元禄5年(1692)土岐氏が転封直後、幕府の命により跡形もなく破壊された。

以来、上山藩は金森氏、藤井松平氏(三万石)10代の治領下で170年余年間、代々城の再建が宿願であったが、明治維新まで一部を修復するに止まり、再築されることはなかった。


【感想】
米沢からの列車が人身事故の影響で遅れ城内へ入ることはできませんでした。
本丸跡には月岡神社があり、二の丸跡に模擬の天守が再建されている。高台から見る蔵王の山々はとてもきれいですが城の遺構はあまりなく物足りなさがあります。
城内に足湯があるので1日の疲れをここでいやしてました。
登城日 2009年4月30日(木)
LINK 上山城公式HP
上山城-Wikipedia
城主家紋 【九曜】
(伊達氏一族)
小簗川家家紋

                      

探訪
【城に向かう途中より天守南側】 【城の入口に立つ櫓】 【働く婦人の家駐車場より天守】
【天守東側】 【ニの丸跡に建つ模擬天守】
【月岡公園】
ニの丸と公園の間には橋が架かっている。この下は堀切だったのでしょうか?
【堀切跡?】
ニの丸と月岡公園(三の丸?)との間の堀切跡?
【月岡公園の枝垂れ桜】 【月岡公園より天守】
手前に見えるのが城内にある足湯
【天守北側】 【天守西側】 【月岡神社(本丸跡)】
【月岡神社拝殿】 【土岐桜】
【土岐氏庭園跡】
【天守南側】 【鐘楼】 【沢庵桜】
【沢庵桜の母樹】 【石垣跡】 【西側内堀跡】




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