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城名 多賀城
住所 〒985-0864
宮城県多賀城市市川
入場時間
入場料 無料
指定文化財 国史跡
築城主 大野朝臣東人(おおののあそんあずまひと)
築城年 神亀元年(724)
改修者 藤原恵美朝臣朝?(ふじわらのえみのあそんあさかり)
位置 北緯38度18分22秒
東経140度59分18秒
地図 多賀城壺碑
政庁南門跡
政庁正殿跡
作貫地区役所跡
平安時代外郭東門跡
100名城
スタンプ
【沿革】
8世紀前半頃(多賀城碑によれば神亀元年=724年)に創建された多賀城は、10世紀にかけて陸奥国府として、さらに陸奥・出羽両国を統轄する按察使(あぜち)が常駐し、奈良時代には鎮守府(ちんじゅふ)も併置されるなど、東北経営の中枢的な役割を果たしました。多賀城跡は、東の塩竈市から延びてくる低い丘陵上に立地し、多賀城市市川・浮島にかけて所在しています。この地は、南西に広がる広大な仙台平野が一望でき、北には黒川・大崎平野を控えています。また、東には塩竈港があるなど、当時は山道・海道の交通の要衝の地でありました。
遺跡は、標高52mから4mの丘陵から低湿地をまたぐようなかたちで築かれています。全体の形はいびつな四角形で、規模は南辺約870m、北辺約780m、西辺約660m、東辺約1,050mで、面積的には八町四方位の大きさがあります。周囲には幅3m、高さ5mほどの築地が廻り、南辺中央に南門、東辺北寄りに東門、西辺南寄りに西門がそれぞれ位置しています。南門から北に300mほど入ると、約100m四方の政庁跡があります。建物の配置は、中央に正殿を置き、左右前方に脇殿を配し、南正面には南門があり、門から築地が延びて四周を囲んでいます。これは、大宰府政庁や各国の国府の政庁に共通する形であり、多賀城政庁が国府に関わる大規模な官衙(かんが)の中枢であったことを示しています。政庁以外にも城内の所々で役所の実務を司った建物跡群や竪穴住居跡が発見されています。


【感想】
多賀城南門から政庁だけではなく是非東門跡の方も見てもらいたいと思います。
政庁跡から作貫地区を抜けて行く間に、様々な風景が見ることができます。GWに行ったのですがカエルの鳴き声や鶯の囀りも聞こえてきてそれだけでも癒されますよ。

【情報】
多賀城とスタンプ設置場所がすごく離れているので最近は国府多賀城駅の観光案内所にもスタンプが置いてあります。ボランティアの方でもスタンプを押したものを持っておられる方がいますのでありがたいですね。
スタンプ
設置場所
多賀市埋蔵文化財調査センター
(最寄駅多賀城駅)
/国府多賀城駅観光案内所
登城日 2009年5月1日(金)
LINK 多賀城市観光協会HP
多賀城-Wikipedia

                      

   
探訪
【多賀城壺碑】 【多賀城壺碑】
多賀城 京を去ること一千五百里
 蝦夷国の界を去ること一百二十里
 常陸国の界を去ること四百十二里
 下野国の界を去ること二百七十四里
 靺鞨国の界を去ること三千里
此の城は神亀元年(七二四年)歳は甲子に次る、
按察使兼鎮守将軍・従四位上・勲四等・
大野朝臣東人の置く所也。
天平寶字六年(七六二年)歳は壬寅に次る、
参議東海東山節度使・従四位上・仁部省卿・
兼按察使鎮守将軍藤原恵美朝臣朝?、修造する也。
 天平寶字六年十二月一日
【築地塀跡】
【外郭南門跡】 【外郭南門復元図】 【多賀城跡案内】
【多賀城址碑】 【政庁前】 【城前地区】
政庁へ続く階段
【政庁西南建物跡】 【多賀城跡政庁推定復原模型】 【政庁東南建物跡】
【政庁南門跡】 【政庁南門復原図】 【石敷広場跡】
【政庁正殿跡】
【政庁正殿復原図】 【土塀跡】
【政庁東殿跡】 【政庁東殿復原図】 【北東門跡】
【第W期後殿跡礎石】 【北西門跡】 【北東門石段】
【政庁復原図】 【作貫地区発掘現場-空掘覆屋】 【作貫地区役所跡】
【作貫地区発掘平面図】 【作貫地区堀】 【大畑地区掘立柱式建物跡】
【大畑地区掘立柱式建物復原図】 【奈良時代の外郭東門跡】 【外郭東門復原図】
第U期の八脚門復原図
【平安時代の東門跡】 【東門前石敷道路】 【平安時代の東辺大垣跡】
【東門南櫓跡】 【平安時代の東門跡全景】 【東門北櫓跡】
【平安時代の東門復原図】 【役所の北門と塀跡】 【役所の北門と塀の復原図】
【平安時代の道路跡】 【多賀城東南隅】




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