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城名 | 磐城平城(別名:龍ヶ城) | ||
住所 | 〒970-8027 福島県いわき市平旧城跡 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 史跡 | |||
城郭構造 | 梯郭式平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 鳥居忠政 | |||
築城年 | 慶長8年(1602) | |||
主な改修者 | ? |
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主な城主 | 鳥居氏、内藤氏、井上氏、安藤氏 | |||
位置 | 北緯37度3分34秒 東経140度53分27秒 |
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地図 | 1 | 本丸跡 | ||
2 | 中門櫓跡 | |||
3 | 櫛形門・塗師櫓跡 | |||
4 | 丹後沢 | |||
5 | 水堀跡 | |||
【概要】 関ヶ原の戦いの後に、それまで飯野平城を居城としていた岩城氏が、関ヶ原の合戦時に血縁関係のある佐竹氏と同調して東西に中立の立場を取った事で改易(後に亀田藩(秋田県由利本荘市岩城亀田)2万石に移封)させられます。 その後慶長7年(1602)に、鳥居忠政が入ると、地名を戦国時代までの飯野平から、岩城の「いわ」の字を変更して「磐城平」に改めて磐城平藩を樹立し、翌慶長8年(1603)に築城を開始し、12年の歳月を費やして梯郭式平山城を完成させた。 天守は造られず、本丸の三層櫓がその代わりとなった。その姿は、「磐城名物三階櫓、竜のお堀に浮いて立つ」と詠われた。また、磐城平を鳥居忠政の本拠地とさせた主な目的は、伊達政宗が治める仙台藩への牽制であった。 慶応4年(1868)の戊辰戦争において、奥羽越列藩同盟に与した当時の家老・上坂助太夫は、明治政府軍に攻められたため、自ら城に火を放ち逃走した。 【感想】 城域は宅地化が進み遺構がほとんど残っていませんでした。宅地化を免れた丹後沢と呼ばれる堀は公園化され残っていますがそれ以外の遺構は、僅かに2ヶ所、石垣が残っています。しかし、残念ながら、どこの石垣なのか説明も有りません。 2010年6月に磐城平城(いわきたいらじょう)の本丸跡を公有地化し、史跡公園としての整備を目指す『磐城平城史跡公園の会』が発足しましたのでこれからどのようになるか期待したいですね。 会の方針は「城跡をまず公有地化し、第二段階として史跡指定、第三段階として史跡公園としての整備を目指したい」とのこと。 2010年7月現在は本丸は私有地のため立ち入りができません。 中には城を復元しようとしたコンクリート跡があるそうです。 |
登城日 | 2010年7月17日(土) | ||
LINK | 磐城平城-Wikipedia | |||
城主家紋 | 【れんじに月】 (桓武平氏繁盛流/維茂流?) 岩城家家紋 |
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【竹に宿り雀】 (熊野権現神職後裔) 鳥居家家紋 |
【いわき駅より大手郭方向】 | 【丹後沢公園入口】 入口右側に中門櫓の石垣が残る。 |
【中門櫓石垣】 | |
【中門櫓跡】 | 【明治天皇像】 中門櫓跡に建つ。 |
【龍ヶ城美術館】 休館日でないのに閉まっていました。 |
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【本丸跡】 私有地のため中には入れない。 |
【本丸跡にある物見ヶ丘神社】 この辺りに三階櫓があったのかもしれない。 |
【丹後沢】 | |
【丹後沢】 | 【丹後沢から見た大手郭方向】 | 【丹後沢】 | |
【丹後沢入口】 この辺りに出口門があったと思われる。 |
【登城道】 裏外張門方向になる。 |
【櫛形門・塗師櫓跡石垣】 | |
【櫛形門・塗師櫓跡石垣】 | 【櫛形門跡】 | 【隅図櫓跡石垣】 櫛形門・塗師櫓反対側に当たる。 |
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【水堀跡】 本丸と硝煙郭・水手郭間の水堀跡。 |
【水堀端から見た本丸方向】 櫓の位置などは資料から想定した位置です。(違うかも) |
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