powered by 地図Z
※赤線は登城経路の大体の位置を示しています。
城名 岩出山城(別名:臥牛城、岩出山要害、旧名:岩出沢城)
住所 〒989-6437
宮城県大崎市岩出山城山
入場時間
入場料
指定文化財 史跡
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 氏家氏
築城年 室町時代
主な改修者 徳川家康
主な城主 氏家氏、伊達氏
位置 北緯38度39分23秒
東経140度51分45秒
地図 本丸跡
大手門跡
内門跡
北の物見跡
北空堀跡
【概要】
室町時代に岩手沢城といわれ、大崎氏の監視役であった氏家氏が代々居城していた岩出山城。岩手沢城は大崎葛西一揆のときに荒廃したが、徳川家康が伊達政宗公のために諸法山実相寺に40日間止宿し修復。政宗公が米沢より移り住んだ最初の地が、ここ岩出山城である。政宗公は天正19年に岩手沢を岩出山に改め、慶長8年に治府を仙台に移すまでの12年間居城した。その後、第四子宗泰を要害岩出山1万5千石の領主とし、宗泰は現在の岩出山高等学校・岩出山小学校付近に館を建て居住した。当時の遺構は、平坦面や土塁・空堀などみみることができる。また、現在は桜の名所としても有名だ。隣接して旧有備館もある。


【感想】
遺構はほとんど残っていない公園化されているが整備が行き届いているのは車が上がれる東側のみと言ってよい。その他は桜の季節ぐらいしか予算の関係で整備は出来ていないようである。
せめて城の何があった場所なのか説明板が欲しいところ。
北の物見跡は老朽化が進み立入禁止であるため堀切跡などを見ることができない。遺構の中でも北の堀跡は比較的整備され確認することができ見事である。しかしここに行くまでが、公園とは思えないほど草木は生い茂り蜘蛛の巣が多いのが難点。
伊達政宗が居城した城としてはとても残念な城址でした。
登城日 2010年7月18日(日)
 LINK 大崎市-観光案内
岩出山城-Wikipedia
庭園
城主家紋 【巴】
藤原北家宇都宮氏流 
氏家家家紋
【竹に二羽飛雀】
(藤原氏山陰流)
伊達家家紋

                      

探訪

※表記の場所がずれていたところを修正しています。
【伊達政宗騎馬像】
有備館駅にあります。
【内川】
堀の役目を果たす川。
【大手門跡】
この先は岩出山小学校、岩出山高等学校がある。
【岩出山小学校】
この場所も岩出山城の一部だろうが、説明板はない。
多分位置的に三ノ丸か?
【二ノ構】
城の構えのひとつ。
【南の腰郭・上段】
公園とは思えないくらい、草木が生い茂る。
【南の腰郭・下段】 【二ノ丸の端から見た南の腰郭】 【二ノ丸の南虎口跡】
ここには橋がかかる。
【堀切?】
橋の下の堀切か?木が生い茂っており深さがわからない。
【二ノ丸(こども広場)】 【西の腰郭(像広場)】
市生的には本丸の南側になる。
【伊達政宗平和像】 【伊達政宗平和像】 【内門跡】
西の腰郭と本丸を区切っていた門。両側に石垣が残る。
【本丸跡】 【本丸土塁】 【岩出山城址碑】
【東の腰郭(SL広場)】 【本丸西虎口】
この下に二ノ丸がある。
【二ノ丸(こども広場)】
【二ノ丸(下さくら広場)】
【二ノ丸(中さくら広場)】
天然の水濠、草が生い茂っているが水はある。
【二ノ丸(上さくら広場)】
【北の物見跡】 【橋】
二ノ丸と北の腰郭?の間に架かる。昔は木橋があった場所か?
【橋の下の谷】
城の防御となる天然の堀切(谷)。
【北の腰郭(ダルマ広場)】
【北の腰郭(町章広場)】 【北の空堀跡】
【北の空堀跡】 【北の空堀跡】 【北の空堀跡】
【北の空堀へ続く遊歩道入口】
下には内川が流れる。




Back



inserted by FC2 system