城名 猪苗代城(別名:亀ヶ城)
住所 〒969-3123
福島県耶麻郡猪苗代町字古城跡7150-1
入場時間
入場料
指定文化財 猪苗代町指定重要文化財
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 佐原(猪苗代)経連
築城年 建久2年(1191)
主な改修者 蒲生氏
主な城主 伊達氏、蒲生氏、上杉氏など
位置 北緯37度33分42秒
東経140度6分14秒
地図 升形虎口
二ノ丸
本丸
大手櫓門跡
西門跡
【概要】
三浦氏の一族である佐原義連は「奥州征伐」の軍功により、源頼朝から会津四郡を与えられました。その子の盛連には六男があり、長男である大炊介経連が猪苗代を領して猪苗代氏を称しました。経連は、磐梯山南麓の弦峯の地に建久2年(1191)亀ヶ城を築いたと伝えられています。
囲碁、十四代盛胤まで猪苗代氏代々の居城でしたが、天正17年(1589)「摺上原の戦い」で蘆名方が伊達勢に敗退したことにより、盛胤も湖南横沢に引退し、猪苗代城主はここに終を告げました。
しかし亀ヶ城は、江戸初期に出された一国一城令にも破却されず、近世を通じて城代が置かれ、幕末の戊辰戦争によって焼失するまで会津藩東の要として残された名城です。
(※説明板より)

【感想】
猪苗代駅から徒歩で行くといきなり大手虎口が見えてきます。
またその虎口が枡形を形成しているので期待が大きくなりました。
結構いたるところに石垣があり見所は多いです。
ただ、案内板によると二ノ丸が広大というよりは正直、帯曲輪ではないかと思います。
本丸直下の部分が二ノ丸であり、それより下の部分は帯曲輪となり、北曲輪・西曲輪・南曲輪を形成していると見たほうがわかりやすい。
また、大手虎口は胴丸と呼ばれる部分のようである。
LINKにもある『猪苗代町HP-猪苗代城址と鶴峰城址』に飛んでもらい、そこに『亀ヶ城の歩き方.pdf』があるので是非参照して欲しい。
登城日 2012年6月30日(土)
LINK 猪苗代町HP-猪苗代城址と鶴峰城址
猪苗代城-Wikipedia
城主家紋 【三つ引両】
(桓武平氏三浦氏流)
猪苗代氏家紋

                      

探訪

※説明板の絵図より(加筆あり)
【冠木門跡】
胴丸・升形虎口となっている。
【冠木門内枡形】  【大手口多聞櫓台石垣】
【枡形虎口法面石垣】 【櫓門跡】 【鐘楼】
【三本杉井戸】 【野面積み石垣】
本丸へ続く登場道の石垣。
【大手櫓門前階段(二ノ丸虎口)】
【大手櫓門礎石】 【大手櫓門跡】
二の丸側より。
【雁木】
【二ノ丸跡】
猪苗代城の二ノ丸はここだけではなく本丸を囲む広いエリアになっている。実際は帯曲輪か。
この場所は、本丸から一段下がった南側の郭になっており土蔵があった場所。
【井戸門跡】
この下方に井戸跡がある。
【二ノ丸土塁】
本丸より一段下がった場所のエリアは土塁に囲まれている。
【二ノ丸・西門跡(搦手虎口)】 【二ノ丸・西門跡(搦手虎口)】 【搦手虎口の石垣】
ここにも櫓があったと思われる。
【黒門跡】
本丸南側虎口。
【本丸跡】 【本丸土塁】
土塁には階段部分もあり櫓が置かれていたと思われる。
【本曲輪【櫓門跡】
本丸土塁上より撮影。
【本丸跡と磐梯山】
本丸からは良く磐梯山が見える。
【本丸東側虎口(本丸内側より)】
【本丸虎口から見た登場道】
正面が櫓門跡(二ノ丸虎口)になる。
【本丸東側虎口(本丸外側より)】 【本丸北側下(二ノ丸・北曲輪)】
この箇所には角櫓が置かれていた。
【本丸北西側下(二ノ丸・西曲輪)】 【本丸西側下(二ノ丸・西曲輪)】
まるで堀底道のような作りになっている。
横堀の様でもある。
【本丸下二ノ丸の搦手虎口】
二ノ丸の南西側に位置する。
【本丸南側下(二ノ丸・南曲輪)】 【二の丸・西曲輪下の空堀】 【二の丸・南曲輪下の空堀】
改変で途中が切られているのか堀切のように見える。
グルメ
ジャンル:郷土料理
店名:かくだい食堂
住所:福島県耶麻郡猪苗代町大字千代田字扇田6-12
TEL:0242-62-3121
営業時間:11:00〜17:00
定休日:月曜日

会津の名物でもある「ソースカツ丼」が有名なお店。
写真を見ればわかるようにカツが丼からはみ出るくらの大きさで蓋ができません。
この丼の蓋は食べる際にカツを載せてご飯をいただくためにあります。
休日は観光客と地元の人で賑わっています。
会計時には飾りと思っていた古いレジが現役で使われています。




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