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城名 | 新庄城(別名:沼田城、鵜沼城) | ||
住所 | 〒996-0085 山形県新庄市堀端町6-86 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 市指定史跡 | |||
城郭構造 | 輪郭式平城 | |||
天守構造 | 3層天守 | |||
築城主 | 戸沢正盛 | |||
築城年 | 寛永2年(1625) | |||
主な改修者 | 戸沢正盛 | |||
主な城主 | 戸沢氏 | |||
位置 | 北緯38度46分1.27秒 東経140度17分36.61秒 |
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地図 | 1 | 表御門跡 | ||
2 | 武器櫓跡 | |||
3 | 二の丸跡 | |||
4 | 大納戸櫓跡 | |||
5 | 裏御門跡 | |||
【概要】 新庄城は、寛永2年(1825)、新庄潘初代城主 戸沢正盛が築いた城である。創建時の新庄城は、本丸中央に3層の天守閣、3隅に隅櫓、表御門、裏御門を備え、二の丸は役所や米倉、大手門、北御門を融資、三の丸には多数の侍屋敷を区画した堂々たる近世城郭であった。 新庄藩は最上郡一円と村山郡の一部、6万石(後に6万8200石)を領した。藩主戸沢氏は元和8年(1622)から明治初年まで、11代250年にわたり、この城を拠点として藩政を展開した。 慶応4年(1868)7月、新庄城は庄内勢に攻められ、黒煙を吐いて焼け落ちた。明治に入って、新庄城は廃され、跡地は新庄学校・勧業試験場・招魂社・郡会議事堂などの敷地として利用された。 【感想】 遺構はそれほどないがこじんまりとしたお城でした。 しかしその割に3つの隅櫓を備え、天守もあった立派な城だったことに驚きました。 現在は堀では釣りなどをしていて市民の憩いの場になっているようです。 |
登城日 | 2012年9月1日(土) | ||
LINK | 戸沢神社HP | |||
新庄城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【丸に輪貫九曜】 (桓武平氏貞盛流) 戸沢氏家紋 |
【三の堀跡】 面影も何ありません。今はスポーツ店が建ってます。 |
【二の堀跡】 | 【時鐘堂跡】 二の堀の脇にある。 |
【御役所跡】 | 【本丸堀】 | 【本丸堀】 |
【土橋跡】 | 【土橋と表御門】 | 【本丸堀】 |
【城址碑】 これしかなかった。 |
【戸澤神社】 新庄藩主戸沢家始祖衝盛公、新庄潘祖正盛公、11代最後の藩主正実公を祀っている。 |
【御玄関跡】 |
【戸澤神社拝殿】 | 【表御門跡】 | 【表御門石垣】 |
【表御門跡】 | 【新庄護国神社】 戊辰戦争以来太平洋戦争までの新庄地域の戦死者の霊を弔った神社。 |
【天満神社】 戸澤氏の氏神として旧領角館時代から尊崇された神社。 宝暦5年(1755)の飢饉の犠牲者を弔うため、翌年天満宮の新祭を始めたが、これが現在の新庄まつりの始まりと伝えられる。 |
【本丸土塁】 | 【本丸土塁上】 | 【武器櫓跡】 南東隅建てられた二層の隅櫓。 |
【本丸南側出入口】 この虎口はあとから土塁を切って作られたもののようです。 |
【本丸南側出入口】 |
【二の丸跡】 |
【本丸掘】 | 【本丸堀跡】 西側の掘りは埋め戻されています。 |
【大納戸櫓跡】 本丸の西北隅に築かれた二層の隅櫓だった。 |
【本丸堀跡】 現在はあじさい園になっている。 |
【本丸北側土橋跡】 | 【本丸掘】 |
【裏御門跡】 本丸北側に位置する。 |
【小納戸櫓跡】 本丸の東北に建てられた二層の隅櫓。 |
【物見櫓跡】 城外を伺う櫓が建っていた。 |
ジャンル:ラーメン 店名:一茶庵支店 住所:山形県新庄市下鉄砲町10-3 TEL:0233-22-2377 営業時間:11:00〜14:30、16:00〜18:00 定休日:月曜日 新庄名物「もつらーめん」です。 澄んだスープに鳥もつがのったらーめんで、もつは臭みもなく食べれます。 スープも昔ながらの鶏がらのスープでもつがなくても美味しいです。 地元のお客さんも多い人気店でした。 |