城名 湯沢城
住所 〒012-0000
秋田県湯沢市古館山
入場時間
入場料
指定文化財 なし
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 小野寺道定
築城年 安貞元年(1227)
主な改修者 佐竹義種
主な城主 小野寺氏、湯沢氏(楯岡氏)、佐竹氏(佐竹南家)
位置 北緯39度09分47.4秒
東経140度29分44秒
地図 本丸
二ノ丸
見張台
馬場
曲輪
【概要】
湯沢城は鎌倉時代後期、小野寺氏によって稲庭城の支城として築かれたと伝えられる。小野寺氏はのちに雄勝、平鹿の二郡を領有する戦国大名となるが、その成長過程で湯沢城の果たした役割は大きいしかし、文禄4年(1595)城主小野寺孫七郎のとき、最上氏の軍勢に攻められて落城し、以後最上の武将楯岡豊前守満成が城主となる。

関ヶ原の戦いから二年後の慶長7年(1602)、佐竹義宣の秋田転封にともない、佐竹南家三代義種が湯沢城城代となる。義種は城の整備を図り、住居と役所を兼ねたお屋敷を麓に構える。元和6年(1620)山上の城は一国一城令によって破却される。

やがて、城址はお城山と呼ばれ、また、お屋敷の跡に小学校が建てられたことから裏山である中央公園は学校山と呼ばれて親しまれている。(この学校は既に廃校になっている)
(案内板より)


【感想】
城址は整備もされているようだが、道標は古く朽ち果てている場所もあり、道順を間違える可能性があるので注意が必要。曲輪の間隔は離れており、城域は広い。
登城口は、力水、中央公民館にあるが、馬場の先に林道が通っています。そこには駐車場もあり、車で来た場合は、馬場付近から登城すると楽に本丸まで行くことができる。
しかし、ここから登城すると山城のおもしろさは味わえないでしょう。

登城日 2014年7月19日(土)
LINK ゆざわジオパーク
湯沢城-Wikipedia-
城主家紋 【一文字に六葉木瓜】
(藤原氏秀郷流首藤氏族)
小野寺氏家紋
【五本骨扇に月丸】
(清和源氏義光流)
佐竹氏家紋

                      

探訪

※案内板より(加筆あり)
【湯沢城登城口】 【ゆざわウォーキングマップ】
城址巡りもコースとしてかかれている。
【力水】
【佐竹南家の門】
昭和55年5月、中央公園の登城口に移築されてきました。
【お沢稲荷神社の鳥居】 【お沢稲荷神社】
湯沢佐竹南家が基も進行した神様で、湯沢城最上段にある五社壇に祀ったものの一つです。
【登城道】 【岐路】
どちらからも二ノ丸へ行けるが、左側は大回りで曲輪を経由して二ノ丸に向かうことになる。
【曲輪】
案内図には名も記されていない曲輪がある。
【道標】 【二ノ丸跡】
二ノ丸跡であることを示す標柱は倒れてしまっている。
【二ノ丸跡】
案内板も倒れていた。
【大堀切】
堀底道の向こう側には、裏門があり、反対側には細小路があるがこの時期は両側とも藪化しており先に進むことは出来ない。
【本丸側の高台から見下ろした大堀切】 【朽ち果てた道標】
本来は左が本丸、右が見張台となるのだが、”絶景見張台”の表記しかない状態であった。
【馬舎跡
見張台跡の手前にある馬舎跡。
【見張台跡】 【見張台跡】
【見張台から眺望】 【馬舎跡付近から見た本丸】 【本丸跡】
【五社壇の坂虎口】 【五社壇跡】
本丸東南端に位置し湯沢上で最も標高の高い所にあり、広さは東西約10m、南北約20mである。ここに天照皇大神、八幡三柱神など五社が祀られていた。
【五社壇跡】
【堀切跡】
本丸の五社壇下には狭く切り通した空堀があった。
【馬場跡】 【馬場跡】
城の南部に位置し、東西約30m、南北約160mの広さがあり、馬場の他に、西南の隅には土塁を築いて弓、鉄砲の稽古場である矢場、星場お備えていた。
【矢場・星場跡の土塁】 【矢場・星場の土塁】 【林道からの入口】
車だとこの先の駐車場があるようです。




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