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城名 | 角館城(別名:小松山城) | ||
住所 | 〒014-0351 秋田県仙北市角館町古城山 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | なし | |||
城郭構造 | 山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 戸沢氏か? | |||
築城年 | 不明 | |||
主な改修者 | 蘆名氏 | |||
主な城主 | 戸沢氏、蘆名氏、佐竹氏 | |||
位置 | 北緯39度36分16.73秒 東経140度33分39.14秒 |
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地図 | 1 | 本丸跡 | ||
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【概要】 秋田県仙北市(旧角館町)にあった戦国時代の山城。 現在、国の重要伝統的建造物群保存地区となっている角館の武家屋敷町の北側に位置する標高166mの独立丘陵上にあった。 築城年代、築城者ははっきりしないが、秋田氏(安東氏)や小野寺氏と戦いながら勢力を拡大した出羽国の戦国大名で、江戸時代に新庄藩主となった戸沢氏が本拠としていた城である。 『戸沢家譜』によれば、戸沢氏は応永31年(1424)に門屋城から、この城に本拠を移したとされる(ただし、諸説ある)。戸沢氏は領地を守り抜き、戦国末期には織田信長や豊臣秀吉と誼を通じて領国経営を安定させた。戸沢氏は関ヶ原の戦いでは東軍方だったが、慶長7年(1602)に減封の上、常陸国松岡へ国替えとなった。 代わりに角館に入ったのが佐竹氏の一族の蘆名義広(盛重)である。その後、元和元年(1615)に一国一城令が発令されたが、これに伴い、角館城は元和6年(1620)に城郭が破却された。このため蘆名氏は城山の麓に屋敷を構え、その防衛のため、今日残る角館城下の町割を整備したといわれる。その後、蘆名氏が断絶したことから、明暦2年(1656)に紫島城(大仙市長野)の佐竹義隣(佐竹北家)が角館に入部し、以後、明治維新まで佐竹北家がこの一帯を治めた。 城跡は現在、古城山公園として整備されており、主郭をはじめとする郭跡の平場が残っている。なお、この公園は角館の街並みを一望できる桜の名所として知られている。 【感想】 観光客も春以外は城址までは来ないので、ゆったりと見ることが出来ますが、管理道が本丸中間で進入し、原型をとどめていないお思われる。 既に桜の名所として公園化されているのが残念であるが、北側には数段の平場があるので、昔は腰曲輪であったのだろうと思われる。 角館は城址よりもやはり武家屋敷の方が見応えがあります。 |
登城日 | 2014年7月20日(日) | ||
LINK | あきたファンドっとコム〜角館城跡〜 | |||
角館城-Wikipedia- | ||||
城主家紋 | 【丸に輪貫九曜】 (桓武平氏貞盛流) 戸沢氏家紋 |
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【三つ引両】 (桓武平氏三浦氏流) 蘆名氏家紋 |
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【五本骨扇に月丸】 (清和源氏義光流) 佐竹氏家紋 |
【古城公園入口】 | 【登城口】 | 【登城道】 階段が続く山道の他、舗装された管理道がある。もちろん昔ながらの階段の方を選択。 |
【本丸下の曲輪】 階段を登って行くと東屋が見えてくる。その場所がこの本丸下の曲輪になる。それまでは何もなかった。 |
【曲輪からの眺望】 残念ながら木々が邪魔をして武家屋敷は見ることが出来ない。 |
【本丸へ伸びる階段】 結構な高低差がある。 |
【本丸跡】 | 【本丸からの眺望】 本丸からも武家屋敷は見渡せない。 |
【角館城址碑】 お墓型の城址碑には驚きました。お墓の家紋は戸沢氏のものでした。 |
【本丸北側】 | 【堀切ではなく管理道】 本丸のここまで管理道が伸びるのは如何なものだろう。 完全に花見をするための公園だということが伺える。 |
【本丸北側下の曲輪】 |
【本丸北側の一番下の腰曲輪】 | 【本丸下西側の曲輪】 管理道を本丸から少し下るとある。 |
【管理道】 意味ありげな小山がある。昔は門でもあったのであろうか?。 |
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ジャンル:蕎麦 店名:角館そば 住所:秋田県仙北市角館町岩瀬町17 TEL:0187-53-2054 営業時間:11:00〜15:00(なくなり次第終了) 定休日:火曜(祝日の場合は営業、翌日休み) 注文したのは鮎天そば(大盛り)、鮎の一夜干しを白麹に漬け込んだものを天ぷらにしているそうです。 身は柔らかで香ばしく頭から頂くことが出来ます。 蕎麦は十割があれば替えることができるそうです。 腰もしっかりあって蕎麦の風味も楽しめて美味しいお蕎麦でした。 ちょっと高いけどお勧めです。 |