城名 秋田城(別名:出羽柵)
住所 〒011-0907
秋田県秋田市寺内焼山
入場時間 秋田城跡出土品収蔵庫
開館時間:午前9時〜午後4時(入館は午後3時30分まで)
休館日:冬期間(12/1〜3/31)
入場料 無料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造
天守構造 なし
築城主 不明
築城年 天平5年(733)
主な改修者
主な城主
位置 北緯39度44分25秒
東経140度4分45秒
地図 正殿跡
政庁跡
外郭東門
外郭(鵜の木地区)
古代水洗厠舎
【概要】
秋田県秋田市寺内大畑にあった奈良時代から平安時代にかけての古代の城柵。大和政権は8世紀初めに、今日の山形県庄内地方に出羽柵(いではのき)という出羽経営の政治・軍事拠点を設けた。この前後に大和政権の勢力圏は今日の秋田県中央部に北上したため、それに伴い、天平5年(733)に出羽柵を現在の秋田市に移設した(『続日本紀』による)。この秋田の城柵は天平宝字4年(760)には秋田城と呼ばれていたことが文献で確認されている。

秋田城は一辺が約550mのいびつな方形をしており、基底幅2.1m、高さ3mの築地塀に囲まれ、その内部には東西94m、南北77mの政庁の建物があった。この頃、渤海の使節がたびたび出羽を訪れているが、近年、その応接は秋田城の重要な役目だったのではないかといわれ始めている。実際、城跡からは迎賓館らしき建物跡が出土している。秋田城には国府が置かれていたが、9世紀に入ると蝦夷(えみし)の攻撃がしだいに激しくなり、延暦23年(804)には秋田郡へと降格した。これは秋田城の国府としての機能がよそに移ったことを示すものである。

秋田城には国司に代わり、国司に次ぐポストの秋田城介(あきたじょうのすけ)が常駐し、軍事拠点としての色合いを濃くしていった。元慶2年(878)に始まった元慶の乱、天慶2年(939)の天慶の乱など、たびたび俘囚(朝廷の支配を受け入れた蝦夷)の大規模な攻撃を受け、一時的に占領されたこともあった。秋田城は11世紀ごろの文献にも登場するので、そのころまで存続していたことがわかっているが、1050年前後の前九年の役を境に衰退していったと考えられている。

昭和14年には、遺跡の重要性が認められて約90haが国の史跡に指定されました。現在、秋田城跡は高清水公園になっており、園内に秋田城の東門や築地塀の一部が復元されている。


【感想】
古代の城なので最初は興味がわきませんでしたが見ていくと、時間を掛けて見ていました。中でも古代水洗厠舎はこの時代では他には見たこともなかったので良かったです。最初に「秋田城跡出土品収蔵庫」に寄ってパンフレットを貰い出土品を見た後に回る方がよいでしょう。
時間があればガイドを頼むのもおもしろいと思います。


登城日 2014年7月22日(火)
LINK 秋田城跡調査事務所HP
秋田城-Wikipedia-
城主家紋

                      

探訪
【外郭東門前の説明板】 【外郭東門(政庁側より)】 【外郭東門(外郭側より)】
【土塀】 【土塁】 【井戸跡】
【井戸跡】 【建物跡】 【建物跡】
【建物跡】 【建物跡】 【柱列(塀跡)】
【柱列(塀跡)】 【井戸跡】 【井戸跡】
【古代水洗厠舎】 【古代水洗厠舎】 【古代水洗厠舎内部】
用を足した後、水瓶の水で流すようです。
【瓶の内部】 【古代水洗厠舎外部】
内部より木樋が沼地にのび、先端部は沈殿槽(浄化槽)に掘り込まれている。
【古代水洗厠舎・沈殿槽部】
【竪穴式住居跡】 【鵜の木地区説明板】 【沼越しの外郭東門】
【沼】 【東大路】 【秋田城跡出土品収蔵庫】
4/1〜11/30までボランティアガイドの方が2名待機しているのでガイドを頼むことができる。
【政庁第一期模型】 【政庁第二期模型】 【政庁第三期模型】
【西大路】 【政庁の東門】 【南東建物跡】
【正殿跡】 【北東建物跡】 【土塀跡】




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