城名 向羽黒山城(別名:岩崎城、巌館)
住所 〒969-6133
福島県大沼郡会津美里町船場
入場時間
入場料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 蘆名盛氏
築城年 永禄4年(1561)
主な改修者 伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝
主な城主 蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏
位置 北緯37度26分34秒
東経139度54分6秒
【概要】
福島県大沼郡会津美里町(旧会津本郷町)にあった戦国時代の山城で国指定史跡となっている。
会津盆地の南方、阿賀野川沿いにある岩崎山(向羽黒山)の山頂から北の山腹にかけての東西1.4km、南北1.5kmを城域とした壮大な城で、多数の曲輪と空堀、虎口を配置していた。

会津を本拠地としていた戦国大名の蘆名盛氏が永禄4年(1561)に築城を開始し、永禄11年(1568)に完成した。盛氏は城が完成すると、本城の黒川城(のちの若松城、同県会津若松市)を
嫡男の盛興に譲り、向羽黒山城に隠居した。しかし、蘆名家の当主となった盛興は26歳で早逝したため、盛氏が再び当主として復帰。黒川城に居城を移したため廃城となったといわれるが、再び城として復活し、天正17年(1589)の摺上原の戦いで勝利して会津を領有した伊達政宗、翌天正18年(1590)の豊臣秀吉の奥州仕置で会津の領主となった蒲生氏郷、その後、越後から会津に国替えとなった上杉景勝などが同城の改修を行っている。

しかし、関ヶ原の戦いで西軍に与した上杉氏の敗戦にともない、翌慶長6年(1601)、あるいは加藤氏の治世下で一国一城令に基づき廃城になったといわれる。現在、城跡は山頂の本丸を中心に白鳳山公園となっており、本丸、二の丸、三の丸、伝盛氏屋敷跡などの郭跡や竪堀、空堀、虎口、石塁などが残っている。


【感想】
公共期間を利用する方は、最寄り駅は只見線の会津本郷駅だがいかんせん本数がない。そのため距離はありますが会津鉄道の南若松駅を利用した方が良いかもしれません。南若松駅から歩いて行くと阿賀川を渡る橋の上から城址の全景を見ることが出来ます。
登城口からは車道が城址を巡っているので、車できた場合は非常に見て回るのが楽な城址です。最初は城址を貫いているのでなんでっと思いましたが、歩いても道に迷う事無く行けるので良かったです。一番の見所は二曲輪下の水の手でしょう。
虎口や堀も多く歩きまわると結構な時間が必要です。
この城を見て蘆名氏の勢力がわかった気がします。


100名城
スタンプ
 スタンプ
設置場所
 向羽黒山城跡整備資料室前
登城日 一回目:2014年11月23日(日)
二回目:2020年10月02日(金)
LINK misatono〜向羽黒山城特設ページ
向羽黒山城-Wikipedia-
城主家紋 【三つ引両】
(桓武平氏三浦氏流)
蘆名氏家紋

                      

探訪

※パンフレットの城郭全体図より(加筆有り)

※パンフレットの白鳳山公園散策MAPより
【阿賀川対岸より見た白鳳三山】 【岩崎山(向羽黒山)】 【登城口】
この反対側(撮影している側)に観光案内所が有り、パンフレットがもらえます。
【登城口】 【登城道】
この車道をたどれば岩崎山へは山を越えることもなくたどり着けます。
【三曲輪入口】
【三曲輪碑】 【三曲輪跡】
三曲輪は永禄4年(1561)主に馬の訓練場として造られた処で西北の見張りにもよく望楼や指揮陣屋なども併設されていた。
【三曲輪からの眺望】
この眺望からもわかるように眼下が開けているので見張りの望楼が造られたのがよく理解できる。
【北曲輪への入口】 【分かれ道】
直進は北曲輪、左手はくるみ坂で十日町口の大手に繋がるのだが散策は不可となっている。
【北曲輪】
蘆名盛氏の屋敷跡と伝わる場所
【北曲輪】
屋敷跡部分は土塁に囲まれており、その間にはこのような堀がある。
【北曲輪・土塁】 【北曲輪】
【大堀切】
三曲輪と二曲輪との間の大堀切ですが、木々が多すぎてよくわかりませんでした。
【二の丸下の駐車場】 【源平(げんべ)沼】
左の駐車場から下った処にある。
【二曲輪へ向かう道】 【御茶屋場曲輪】
左の道が右に曲がる、場所にある曲輪で、会津茶道発祥の地。今でもこの場所でお茶会を開くそうです。
【御茶屋場曲輪からの眺望】
会津市内までも一望でき、遠くに鶴ヶ城も見えます。
【御茶屋場曲輪】 【みかえり坂】
御茶屋場曲輪から来た道を少し下った場所にある。ここから二曲輪へとあがります。(車道からでも行けますがね。)
【腰曲輪】
みかり坂の途中にある。
【見返り坂】 【二曲輪下】
ここも小さな腰曲輪になっている。
【二曲輪虎口(見返り坂側)】
【二曲輪跡】
二曲輪は実質的には近世の本丸に当たる場所と考えられる。本曲輪の峻険さに比べ、曲輪取りも広く、展望性に富んでいて、生活に必要な飲料水を確保している水の手曲輪も近くにあり、生活機能が重視されている。
【二曲輪説明板】 【二曲輪展望台】
【二曲輪展望台からの眺望】
御茶屋場曲輪と同じ方面なのだろう、会津市内を見渡せ鶴ヶ城も見えます。天気が良ければもっと綺麗なのでしょう。
【二曲輪隅に散乱する石材】 【二曲輪虎口】
この箇所に門が置かれていた。
【二曲輪虎口へと続くスロープ(上段)】 【二曲輪虎口へと続くスロープ(下段)】 【堀切・門跡】
二曲輪と一曲輪の間にあり、現在はこの道路が堀切跡となる。また一曲輪に入るための門がありました。
【駐車場】
一曲輪、二曲輪、水の手と回るにはここに止めるとよいでしょう。
【水の手方面の入口】 【二曲輪へと続く石段】
【枡形虎口】 【枡形虎口】
正面が馬出しのような構造になっている。
【水の手の堀】
この下に井戸だった場所の石組み遺構がある。
【水の手の堀】 【水の手曲輪】 【水の手曲輪】
【井戸跡の石組み遺構】 【枡形虎口】 【一曲輪説明板と入口】
【竪堀】 【一曲輪へ続く石段】
一段一段が高くかなりキツイ石段。
【三日月堀(横堀)】
一曲輪へ行く途中にある。
【三日月堀(横堀)】 【一曲輪へと続く石段】 【枡形虎口】
【枡形虎口】 【岩崎山頂・一曲輪】 【土橋】
【一曲輪下、土橋横の横堀】 【一曲輪下段】 【一曲輪上段】
【一曲輪跡と城址碑】 【一曲輪・搦手側】 【堀切T】
【堀切T】 【堀切U】 【一曲輪・搦手側入口】
【三日町大手口】
一曲輪・搦手入口から登ってきた方向へ戻る途中には三日町大手口へ降りる階段があり、その場所から大手口方面を見渡すことができる。
【弁天曲輪】
御茶屋場曲輪から車道の沿って登るとある。登城の際、みかえり坂から登ったので帰りに寄った。
【宗像神社】
この宗像の神は、海津見糸(あまつみ)の女神弁財天である。
【御水神社】
急峻な崖の上に建つ。
【御水神社】 【御水神社からの眺望】
阿賀川一帯が見渡せる。
探訪〜2020年10月2日〜
【枡形虎口】
水手曲輪から二曲輪へ入る入口
【枡形虎口】 【枡形虎口】
右側の階段を上ると二曲輪跡になる。
【竪堀】
一曲輪説明板入ってすぐにあり、この左にももう一本の竪堀がある。
【礎石建物跡】
左の竪堀から左側に移動した場所にある。
【城道跡】
礎石建物が複数ある場所に跨る道
【城道跡】 【礎石建物跡】 【礎石建物跡】
【礎石建物跡がある曲輪】 【左の曲輪の一段上の曲輪】 【土塁】
【竪堀】
急峻な崖の上に建つ。
【三日月堀(横堀)】 【三日月堀(横堀)】
【三日月堀(横堀)】 【枡形虎口】 【枡形虎口】
【一曲輪下の横堀】 【枡形虎口からの城道】 【石積遺構と集積遺構】
2018年に発見された。




Back



inserted by FC2 system