城名 | 浪岡城 | |||
住所 | 〒038-1311 青森県青森市浪岡大字浪岡 |
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入場時間 | 青森市中世の館 午前9時00分〜午後5時00分まで 浪岡城跡案内所 午前9時00分〜午後4時00分まで 休館日 ・毎週月曜日 ただし、月曜日が祝日にあたるときは、その翌日 ・毎月第3日曜日 ・年末年始(12月28日〜翌年1月4日) ただし、保守点検等により休館する場合もあり。 浪岡城跡案内所は、12月1日から翌年3月31日まで閉館 |
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入場料 | 青森市中世の館 一般、大学生・18歳以上の各種学校生:210円 高校生:110円 |
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指定文化財 | 国指定史跡 | |||
城郭構造 | 平城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 北畠顕義 | |||
築城年 | 応仁年間 | |||
主な改修者 | なし | |||
主な城主 | 北畠(浪岡)氏 | |||
位置 | 北緯40度43分1秒 東経140度36分16秒 |
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100名城 スタンプ |
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スタンプ 設置場所 |
・青森市中世の館 ・浪岡城跡案内所 ・青森市浪岡交流センターあぴねす(駅構内) |
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登城日 | 2023年5月2日(火) | |||
LINK | 青森市HP〜史跡浪岡城跡〜 | |||
浪岡城-Wikipedia- | ||||
城主家紋 | 【笹竜胆】 (村上源氏北畠氏流) 浪岡北畠氏家紋 |
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【概要】 城主は、浪岡(北畠)氏といい、南北朝時代、後醍醐天皇を助けた北畠親房、顕家の子孫と伝えられています。 築城は1460年頃、1500年代前半の最盛期には、浪岡氏は盛んに京都と交流を持ったり、県内に数々の寺社を建てています。 しかし、1562年に親族間の争いが起こり、勢力が衰えてしまいます。やがて、1578年に大浦(津軽)為信に攻められ落城してしまいました。 以後、約400年の間、城跡は畑や水田として使われいました。 城跡は約136,500u(東西約940m、南北245m)の規模を誇ります。 幅20m、深さ5mほどの二重堀で分けられた8つの館(曲輪)が扇のように広がる形が特徴です。 堀と堀の中の土塁により守りを強化しようとしたものでしょう。また、土塁の上を通路としても使用し、城全体を迷路のようにしていたようです。 (※浪岡城跡に行ってみよう散策マップより) 【感想】 駅から歩いていったため、城址碑を発見して検校館から見て周ったため、見学順路と逆になってしまったため、北館から東館に抜ける道を探すのに苦労しました。 見学の際は一度浪岡城跡案内所に行ってから周ると順路よく見学することが出来ます。 |
※史跡浪岡城跡 案内図 |
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【城址碑】 | 【検校館跡】 | 【西舘跡】 |
【二重堀に掛かる木橋】 | 【内館跡】 | 【木橋と内館坂虎口】 |
【内館跡】 | 【西舘と北館の間の二重堀】 | 【木橋と北館虎口】 |
【北館跡】 | 【北館の土塁】 | 【北館・井戸跡】 |
【北館・井戸跡】 | 【土塁から見た北館、木橋】 | 【二重堀の間の土塁上に建つ城址指標】 |
【北館跡】 | 【北館跡】 | 【北館跡の建屋跡】 |
【北館跡の建屋跡】 | 【北館跡の建屋跡】 | 【北館跡】 |
【北館虎口】 | 【堀に架かる木橋】 | 【東館跡】 |
【東館内の立体模型】 | 【猿楽館跡】 | 【浪岡城跡案内所】 |
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【城址碑】 | 【新館跡】 | − |