城名 福島城(別名:大仏城、杉妻城、杉目城)
住所 〒960-8065
福島県福島市杉妻町2-16
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 伊達氏?
築城年 不明
主な改修者 木村吉清、本多忠国
主な城主 伊達氏、木村氏、本庄氏、本多氏、堀田氏、板倉氏
位置 北緯37度45分02.5秒
東経140度28分05.5秒
登城日 2023年5月3日(水)
LINK 福島市HP〜福島城址〜
福島城-Wikipedia-
城主家紋 【竹に二羽飛雀】
(藤原氏山陰流)
伊達氏家紋
【九曜巴】
(清和源氏足利氏流)
板倉氏家紋
【概要】
現在の福島県庁の地には福島城がありました。この地は戦国時代までは、杉目城(杉妻城)または、大仏城と呼ばれていました。「大仏城跡出土宝塔」(県重文)は大仏城の由緒を示しています。応永20年(1413)、伊達持宗が大仏城に立てこもり、関東公方足利持氏に背いたとの記録があり、戦国時代末まで伊達氏の居城でした。
豊臣秀吉の奥羽仕置により、蒲生氏郷から信夫5万石を任された木村吉清は文禄元年(1592)ころ大森城から杉目城に移り、福島城と改称しました。しかhし、文禄4年、秀吉お命で福島城は取り壊され、その後当地は、上杉氏(1598〜1664)、本田氏(1679〜1682)、堀田氏(1686〜1700)が入部し、その間は幕領となるなど頻繁に領主が変わりますが、新に城は築かれず、陣屋での支配が行なわれていました。
元禄5年(1702)、板倉氏が3万石で信濃から入り、福島城の整備が行なわれました。福島城の総面積は約25ヘクタールで、天守はないものの3万石の大名の居城としては大規模なものでした。本丸は現在の知事公館付近、政務をとる二の丸は県庁舎付近にあり、城の南東を阿武隈川が流れ、その流水が内堀を巡っていました。藩主が住む殿中から眺めたお庭が現在の紅葉山公園です。また庁舎の南側には当時の土塁が残っています。
(説明板より)

【感想】
場所が福島県庁の為、周囲を散策しながら指標や遺構を探すののも緊張しましたが、面白いものでした。
庭園ももう少し整備されていれば当時の面影がより分かると思うのですが、草木はやや伸び放題となっているのが残念でした。
唯一残っている土塁は、結構な規模で残っています。


                      

探訪

※福島城跡 案内図
【大手門跡】 【大手門跡】 【大手門説明板】
【福島城と奥州街道説明板】 【福島城址碑】 【福島城説明板】
【本丸跡】 【紅葉山公園説明板】 【紅葉山公園】
二の丸御外庭跡
【大仏城宝塔】 【紅葉山公園】
二の丸御外庭跡
【板倉神社】
【板倉神社と阿武隈川】 【板倉神社】 【西門南土塁】
【西門南土塁】 【西門南土塁】




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