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城名 高島城(別名:浮城)
住所 〒392-0022
長野県諏訪市高島1丁目20番1号
入場時間 午前9時〜午後5時30分
但し10/1〜3/31 午後4時30分
休城日:12月26日〜31日、11月第2木曜日
入場料 天守閣に入る際に必要です。
大人300円、子供150円
団体20名以上
大人200円、子供100円
指定文化財 -
城郭構造 連郭式 平城
天守構造 独立式前期望楼型 3層3階
(鉄筋コンクリート造復興)
築城主 日根野高吉
築城年 文禄元年(1592年)
主な改修者 諏訪忠粛
主な城主 日根野氏、諏訪氏
位置 北緯36度2分23.25秒
東経138度6分43.27秒
地図 角櫓
持方月櫓
冠木門・冠木橋
川渡門
土戸門
【概要】
天正18年(1590年)、当時の諏訪領主諏訪頼忠が徳川家康の関東転封に従って武蔵国へ移った後、豊臣秀吉の武将日根野織部正高吉が転封、2万7千石を与えられ諏訪の領主となりました。高吉は安土城や大阪城の築城にも携わった築城の名手。転封の翌年、天正19年(1591年)にすでに城地の見立てと設計を終え、よく文禄元年(1592年)に着工、慶長3年(1598年)まで7年ほどかかって高島城を築城。
城の際まで諏訪湖の水が迫り、湖上に浮いて見えていたことから別名「諏訪の浮城」と呼ばれ、また「諏訪の殿様よい城持ちゃるうしろ松山前は海」と歌われた名城です。その後関ヶ原の戦いで徳川軍に属した諏訪頼水(頼忠の子)は、慶長6年(1601年)家康の恩恵によって旧領諏訪に帰り藩主となり、以後10代藩主忠礼に至る270年の間、諏訪氏の居城としてその威容を誇りました。
しかし明治4年(1871年)、廃藩置県により封建制のシンボルである城郭の撤去が決定。明治8年(1875年)には天守閣の撤去が終了。翌明治9年(1876年)、本丸跡が高島公園として一般に解放されました。
諏訪住民の高島城に寄せる愛着は強く、昭和45年(1970年)、天守閣が復興されました。同時に、冠木門・角櫓なども復興されたほか、当時の石垣の一部も残るものなど、今も往時を偲ぶことができます。

【感想】
復元されたお城ではあるが堀から見る天守や冠木門(形式は櫓門ですが…)は、風情もありなじんでいる。
昔はこの天守のそばまでが諏訪湖だったと思うとかなり堅固な城の様に思われる。
しかし、ここに訪れるときはいつも天気が良くないため諏訪湖を望めないのが残念であった。
登城日 一回目:2008年8月23日(土)
二回目:2011年4月23日(土)
LINK 諏訪市 高島城ホームページ
高島城-Wikipedia
城主家紋 【丸に洲浜】
藤原氏/日根造後裔?
日根野家家紋
【三ッ葉根あり梶の葉】
(梶葉紋)
国造金刺氏の後裔
/清和源氏説も
諏訪家家紋

                      

探訪 
【高島城交差点より】
JR上諏訪駅より徒歩約10分。高島城交差点まで来ると角櫓が見えてきます。
【角櫓】
お城の北と東に諏訪湖の水を引き込んだ堀がありますが西側には諏訪湖の干拓作業のため今では住宅街すっかり浮城と呼ばれたころの面影はこの堀のみです。
【冠木橋越しの天守】
堀に架かる冠木橋。
【冠木橋と冠木門】
冠木橋を渡るとそこには冠木門があります。
【冠木門-外側】 【冠木門-内側】
本丸より
【角櫓】
本丸より
【三の丸御殿裏門−外側】
三の丸御殿裏門  ここには当時御川渡御門と呼ばれた門がありここで湖の船に乗ることができた。
現在の門は三の丸御殿(現在の高島一丁目八番地付近)の裏門であったものを昭和63年に所有者から市に寄贈され移築された。
【三の丸御殿裏門−内側
ここから船に乗れた昔の光景を見てみたいですね。
【城西側より天守閣】
西側には本来諏訪湖がありましたが現在は干拓され駐車場と住宅街になっています。
【天守閣】
本丸より
【天守閣】
本丸より
【天守最上階からの眺望】
西側方面を眺めると諏訪湖が見えるはずですが、この日は午後から雨になり、諏訪湖は見えませんでした。
南之丸説明板】 【南之丸跡】
現在は諏訪市役所が建っている。




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