城名 寄居要害山城(別名:金尾要害山城、要害山城)
住所 〒369-1236
埼玉県大里郡寄居町大字金尾字要害山
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 藤田左衛門佐重利
築城年 天文元年(1532)
主な改修者
主な城主 金尾弥兵衛
位置 北緯36度07分50.1秒
東経139度09分01.2秒
地図 本郭
二ノ郭
三ノ郭
四ノ郭
【歴史・沿革】
寄居要害山城は、、天文元年(1532)藤田左衛門佐重利が築城したものと言われ、猪俣党の流れを汲む金尾弥兵衛の居城と伝えられています。
中世の名城鉢形城(文明8年(1476)、長尾景春築城)西方の支城の一つで鉢形と秩父を結ぶ街道であった荒川右岸の金尾峠を抑えるために造られた城で、北条氏邦の置いた金尾の監視小屋と推定されています。
天正18年(1590)6月14日鉢形城の落城とともに廃城となりましたが、今でも土塁、竪堀、馬出などの遺構が見られます。

また、山麓の伝蔵院は城主の居館跡で、ここから裏山越えに、城へ往来したと言われる細道があり、さらに金尾の対岸、波久礼の地に城の穀倉があったことから、この一帯に「殿倉」の地名が残り、
「殿倉の渡し」跡も良く知られています。
(説明板と参考文献:改訂歩いて廻る「比企の中世・再発見」より)


【感想】
現在は、金尾つつじ山として親しまれており、城跡というよりは公園となっている。そのため遺構を探すのは大変かもしれない。
本郭に監視台が置かれていたということがわかるほどに設置されている展望台に上ると実感できます。南東には鉢形城が良く見えます。

登城日 2016年02月27日(土)
LINK 寄居町HP-金尾要害山城-
城主家紋

                      

  
探訪

※参考文献:改訂歩いて廻る「比企の中世・再発見」より
登城路】
正面御方向から城の入口があります。
二ノ郭跡】
支城の完成を機に城主が城の守護神として祠堂を建立したのがその初めと言われる愛宕神社があり、火伏せの神・阿久津智命、導きの神・猿田彦命の二柱をお祀りしている。
二ノ郭跡からみた本郭】
【二ノ郭跡からみた本郭】 【三ノ郭跡】 三ノ郭跡から見た本郭】
本郭跡に立つ展望台】 【展望台から見た南方面(鉢形側)】
前方には鉢形城が見える。
展望台から見た北方面(秩父側)】
四ノ郭〜七ノ郭】
郭の区切りが良くわかりません。
四ノ郭からみた三ノ郭方向】 【五ノ郭〜七ノ郭】
多分五ノ郭辺り。
【七ノ郭付近】
多分ちょっとした上が六ノ郭なのであろうが良くわからない。
七ノ郭下の堀切跡】
街道の峠(金尾峠)が堀切跡で現在はゴルフ場となっている正面が出郭らしい。



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