城名 用土城
住所 〒369-1201
埼玉県大里郡寄居町用土956
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 藤田重利(康邦)
築城年
主な改修者
主な城主 用土(藤田)氏
位置 北緯36度08分49.1秒
東経139度11分56.0秒
地図 城址碑
【歴史・沿革】
本城は戦国の昔、北武蔵の豪族・藤田右衛門佐康邦が優勢なので、相模国小田原城主・北条氏康は関東制圧のため、その子・氏邦を養子として遣わした。康邦は天下の形勢を察知し、天文15年
(1546)用土に築城し、従来の居城花園城、天神山城を養子の氏邦に譲り用土新左衛門と称し
用土城に隠退した。その後天正18年(1590)鉢形城を攻略された時、陥落し以後廃城になった。

敷地四町二反歩、内堀、外堀等存在し、老松鬱蒼としていたが、大正5年開墾され、今は昔の面影
もないので後世のため馬場曲輪一同で本碑を建立した。
(城址碑裏の説明より)

※藤田康邦:元は藤田重利で北条氏康の康をもらい、藤田康邦と改名。


【感想】
用土城周辺は傾斜地で今はすっかり田畑や宅地になっているため遺構は残っていない。
こんな緩やかな傾斜地に城?と思うくらいの場所なので城というより居館だったのでしょう。

登城日 2016年02月27日(土)
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城主家紋 【上り藤】
(武蔵七党小野姓猪股党)
藤田氏家紋

                      

  
探訪
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