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城名 | 唐沢山城(現:唐沢山神社) |
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住所 | 〒〒327-0801 栃木県佐野市富士町1409 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | 無料 | |||
指定文化財 | 国指定史跡 | |||
城郭構造 | 連郭式山城 | |||
天守構造 | 不明 | |||
築城主 | 藤原秀郷、佐野氏(佐野房綱?) | |||
築城年 | 延長年間、文明年間(1469〜87年) | |||
主な改修者 | 佐野氏 | |||
主な城主 | 佐野氏 | |||
位置 | 北緯36度21分14秒 東経139度36分5秒 |
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地図 | 1 | 本丸 | ||
2 | 御姫御殿(唐沢青年の家) | |||
3 | 金の丸 | |||
4 | 西城(天徳丸) | |||
5 | 天狗岩 | |||
【概要】 唐沢山城は、佐野市の北、高さ240mの山全体をいい、往時の広さ550町歩と云われ、周囲を急崖に囲まれ、眺望は関東平野を一望に、遠く北より日光連山、西に群馬連山、秩父、南アルプス、秀峰富士、東に筑波とまこと自然の要塞である。 唐沢山神社御祭神、藤原秀郷公(大百足退治の伝説で有名な俵藤太)により一千年前の延長年間築城とされ、公はこの城を中心に、天慶の乱(平将門の乱)を鎮定し大功ををたてられ、その功により鎮守府将軍として、関東はもとより奥州方面にまで威勢を張られた。その後、700年間多少の変遷はあったが、公の子孫佐野家代々の居城として16世紀中ごろに現在の形を整えたとされている。 関東七名城の一つに数えられ、中世山城の典型としての旧態をよく今に残し、代々の変遷の跡も見られ近世初期にまで下る整備の跡も伺われる。 江戸初期、山城禁止令により、佐野市の城山公園の地(春日城(現:佐野城址))に城換えとなって、唐沢山城の歴史が終わるが、明治になり唐沢山神社が建てられると全山境内地となり、県立自然公園にも指定され四季おりおりの風景の中に、秀郷公以来の歴史が偲ばれる。 ※城内掲示板より ※レストハウスに唐沢山城址案内図があるので周る前にもらっておくと良い。 私は帰りにもらったので大変でした。 【私見】 沼田駅から約3kmありますが駅からは一本道なので迷うことなく簡単に行きつけます。最後の約1kmは山道ですけどw 舗装道路もありますがハイキングコースを通ると短距離で行くことができます。(上の地図と実際の道は違うように感じます。) 登っただけの価値は十分にありますよ。 特に天狗岩からの景色は絶景です。ここから江戸の大火も見え、江戸に駆け付けた際にこの城は廃城になったという説も納得いく話です。 |
登城日 | 第一回目:2008年12月29日(月) 第二回目:2014年1月11日(土) |
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LINK | 唐沢山神社 | |||
唐沢山城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【左三つ巴】 (藤原氏秀郷流) 佐野氏家紋 |
※案内板より |
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【唐沢山】 | 【唐沢山神社入り口】 | 【登城口】 唐沢山神社まで約0.9km |
【横堀】 入口から200m位奥に行った右側にある遺構。 |
【登城道】 | 【土やぐら】 反対側の崖には石垣が残るらしい。 |
【大手門跡】 | 【鏡岩】 謙信の城攻めの際に西日を浴びて輝き、攻城軍の目をくらませたと言う。 |
【唐沢山城址碑】 背の低い方が城址碑 |
【食いちがい枡形】 城門のあったところ。 |
【天狗岩】 物見櫓のあった所で南面に出た岩がちょうど天狗の鼻の様であったためこの名がある。 |
【天狗岩上部】 ここに見張り台があった。 |
【天狗岩からの眺望】 関東平野を一望できる。中央やや左側に新宿副都心があり、当時は江戸城も見ることが出来た。 |
【西城(天徳丸)の石垣】 | 【大炊井】 築城の際、厳島大明神に祈願をしその霊夢により掘ると水がこんこんと湧き出たとのことである。深さ9m、直径 8mあり、今日まで水が枯れたことはない。 |
【避来矢山霊廟】 秀郷公が百足を退治した時、龍神より贈られた鎧にその名を発しており、現在は唐沢山神社に功績のあった人々を祀る避来矢山霊廟が山頂にある。 |
【四つ目堀】 神橋の下の堀。水のないから堀で当時はもっと深かったと思われる。 |
【神橋と四つ目堀】 |
【神橋】 当時は外敵に備え、使用しないときは引き上げてしまう曳橋であった。 |
【帯廓】 敵を防いだ当時最大の防御地。 |
【三の丸跡】 賓客の応接間のあったところで外来の客をここでもてなした。 |
【三つ目堀】 桜馬場へと続く竪堀、撮影した場所には橋がありそこが小規模の堀切となる。 |
【桜の馬場の斜面】 | 【本丸高石垣】(本丸南面) 石垣は築城当初のままである。 通路になっている部分は表御殿跡らしい。 |
【本丸高石垣】 | 【大手道】 | 【二ノ丸虎口】 |
【二の丸跡(神楽殿)】 奥御殿直番の詰め所のあったところ。 |
【二ノ丸多聞櫓跡】 | 【本丸虎口】 左側の石段部分が本丸虎口。古地図によれば、この部分は追う手馬出と呼ばれており、現在とは異なる鉤の手の虎口だったようです。 |
【本丸虎口左側の鏡石】 | 【本丸虎口】 | 【本丸虎口右側の鏡石】 |
【唐沢山神社拝殿(本丸跡)】 本丸跡に建立、唐沢山神社には藤原秀郷(藤太)公が祀ってある。 |
【本丸跡】 右手奥には本丸の搦手虎口がある。この虎口は本丸の北東に当たり、開いているのは鬼門除けの意味があるかもしれません。 |
【唐沢神社山門】 |
【引局跡】 奥女中の詰め所跡、本丸一段下にある。 |
【南城跡】 | 【車井戸】 当時茶の湯に使用された井戸で、がんがん井戸ともいわれ、深さ25m余あり龍宮までつづくと言われている。 |
【本丸東側の鉢巻石垣】 | 【本丸東側の鉢巻石垣】 | 【お花畑(長門丸)】 城に於いて使用される薬草などを作ったことからお花畑とよばれる。現在は弓道場。 |
【武者詰の土塁】 本丸北側にある郭。 |
【金ノ丸跡】 宝蔵のあった場所。 |
【杉戸曲輪跡】 ここにあった青年の家は取り壊されている。 |
【杉戸曲輪と北城間の薬研堀跡】 この堀の中央東寄りには土橋が残っているようです。 |
【北城の北東側の二重堀切跡】 仮設トイレの裏が北城跡で通路部分に二重堀切があった。写真左側には二重竪堀が残っている。 |
【二重竪堀】 二重堀切から続く竪堀。 |
【鳩ヶ峰の砦】 | 【鳩ヶ峰北側の堀切】 ここも薬研堀になっている。 |
【唐沢山城北端の曲輪】 実際には、この先にも砦が多数存在している。 |
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【北端の曲輪北側の石垣】 本丸等に見られる石垣とは違うもので唐沢山城で最も古い石垣の可能性がある。 |
【北端の堀切に架かる土橋】 この箇所には3本の堀切があり一体となって北端の防御を強化している。 |
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【南城の石垣】 | 【南城の石垣】 | 【一つ目堀】 |
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【物見櫓跡】 南城の下にあり、間には一つ目堀がある。 |
【横矢の掛った堀切】 南城から南東に伸びる尾根上にあり、通路を狭くし、3回屈曲させて敵の攻勢に対する構造になっている。 |
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ジャンル:そばなど 店名:唐沢山レストハウス 住所:栃木県佐野市富士町1409 TEL:0283-23-1939 営業時間:不明 定休日:不明 電話 0283-24-3211 写真左:なめこそば \750- 写真右:みそおでん \300- 唐澤山名物 手打そば(ざるそば、他各種そば)があり、テラスから、田沼町や赤城山、浅間山等、眺望できます。 景色を見ながら食べるおそばとおでんはもとても美味しかったです。 また、春先4月下旬〜5月下旬にかけて朝堀り竹の子の直売を行います。(前日に電話にて確認して下さい) |