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城名 | 坂戸城 | ||
住所 | 〒949-6611 新潟県南魚沼市坂戸字坂戸山 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 国指定史跡 | |||
城郭構造 | 連郭式山城 | |||
天守構造 | ? | |||
築城主 | 新田氏?(本格的な城としては長尾房長) | |||
築城年 | 鎌倉時代または南北朝時代以降 (本格的な城としては1512年) |
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主な改修者 | 上杉氏、堀氏 | |||
主な城主 | 新田氏、上田長尾氏、上杉氏、堀氏 | |||
位置 | 北緯37度03分32.65秒 東経138度53分54.21秒 |
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地図 | 1 | 本丸跡・櫓跡(富士権現社) | ||
2 | 帯郭跡(二ノ郭とするものもあり) | |||
3 | 廣瀬郭(二ノ郭)跡 (三ノ郭とするものもあり) |
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4 | 主水郭跡 | |||
5 | 小城・大城 | |||
【歴史・沿革】 坂戸城跡は坂戸山(標高634m、山麓との比高差約450m)とその西麓に築かれた中世から近世初頭にかけての城跡である。 南北朝時代(14世紀中頃)、新田氏に替わって上杉氏が越後守護になると、家臣の長尾氏(上田長尾氏)が勢力を伸ばし、やがて南魚沼地方(上田庄)を治めるようになった。16世紀初頭、越後国内が戦国の動乱期に入り、坂戸城は長尾房長による本格的な築城が始まった。 天文19年(1550)、長尾景虎(後の上杉謙信)が越後国主となるに及び、翌年、政景(房長の子)は景虎と和睦を結び、臣従するに至った。 天正6年(1578)謙信が急逝し、政景の子・景勝が御館の乱(1578〜1580)を経て越後国主になると、坂戸城は近隣武将の番城とされ、領国経営の要所となった。 慶長3年(1598)、豊臣秀吉の命により景勝は会津に国替えとなり、春日山城には越前から堀秀治が入った。坂戸城には秀治の家・堀直竒が入ったが、同15年(1610)信濃国飯山に移され、坂戸城は廃城となった。 坂戸山山頂部と主要な尾根には、石垣をもつ実城をはじめ、主水郭・大城・小城などの郭群が築かれている。実城をやや下ると桃の木平という広い郭があり、兵糧などの貯蔵や大勢の城兵が立て籠もる際に使われたと考えられる。寺ヶ鼻尾根には小さな円形の塚が多く存在する(寺ヶ鼻百塚)。 西麓には、城主館跡(通称、御館)・家臣屋敷跡・御居間屋敷跡がある。城主館跡は1町(約110m)四方あり、周囲を土塁で囲み、正面の土塁には高さ約2mの石垣が築かれている。 家臣屋敷跡は城主館跡の前方一帯に広がり、直竒が家臣たちをここに集住させた。御居間屋敷跡は城主館跡のすぐ南側、薬師尾根の中腹にあり、直竒が築いたものである。城主館跡・実城に残る石垣も直竒によるものである。 西麓部と山頂部・尾根上の郭群を結ぶ道としては、桃の木平を通る城坂と呼ばれる沢伝いの道が使われた。 昭和54年(1979)、典型的な中世山城の姿をとどめているとして国の史跡に指定された。 (城址説明板より) 【感想】 JR六日町駅を降りると目の前に見える山が坂戸山、これを見るといかにこの城が標高の高いところにあることがわかる。GWに行ったのだが他の城とは明らかに異なる風景がある。六日町駅で下車した人の大半がこの山を目指しているのだ。山の麓まで来ると麓の遺構を見て回るのとは明らかに違ってまっすぐ山を登っていくのである。この坂戸山はハイキングやトレッキングに最適なのかやたらと人が多いのです。城坂の方から登ったのですが細い道を延々と人がいる。途中で山菜なんか採ってたりするグループがいると抜くのが大変である。途中の目的は異なるものの最終地点は同じ実城・富士権現社、そうなのです実城はハイカーに占領されているのです。遺構を写真に治めるのも一苦労な城なのです。なので行かれる際は時間に余裕をもって登城下さい。 それと駅から坂戸山の間にはコンビニ等ありません。山頂でランチと考えているのでしたら駅前の図書館と書かれている建物奥がスーパーになっていますので、そこで調達されると良いでしょう。 |
登城日 | 2016年04月30日(土) | ||
LINK | 新潟県HP-【南魚沼の魅力】坂戸山- | |||
Wikipedia-坂戸城- | ||||
城主家紋 | 【九曜巴】 (桓武平氏良文流) 上田長尾氏家紋 |
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【竹に二羽飛び雀】 (藤原氏勧修寺流) 上杉氏家紋 |
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【釘貫】 (藤原北家利仁流) 堀氏家紋 |
※六日町駅にあった案内板「坂戸城跡 案内図」より |
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※坂戸城跡案内図より |
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【JR六日町駅より見た坂戸城跡遠景】 | 【与六と桂姫の像】 魚野川を渡る前手前に『六日町温泉お六の湯』の前に建つ。ここに足湯もあります。 |
【魚野川と坂戸城跡】 |
【内堀跡腰から見る坂戸城跡】 | 【内堀跡】 | 【家臣屋敷跡】 |
【家臣屋敷跡】 | 【坂戸城跡の石材】 江戸末期に運び出されたものを改修したもの。将来、坂戸城跡の石垣を修復する際に利用するそうです。 |
【御館跡の石垣】 |
【坂戸城跡碑】 左の小さい碑は「上田五十騎発祥之地」碑。 |
【上杉景勝・直江兼続生誕之地碑】 | 【御館跡の石垣】 |
【御館跡の石垣と御館碑】 | 【御館跡の石垣】 | 【御館跡の石垣】 |
【登山するハイカー達】 | 【城坂手前からの眺望】 この地点、既に結構登っています。 |
【城坂入口】 指標は倒れてしまっています。 |
【城坂】 | 【城坂五合目付近】 ようやく半分、ここに沢が流れています。滑りますので注意! |
【五合目付近からの眺望】 |
【実城と主水郭の分岐点】 通常ルートは実城方向へ。桃之木平を通り実城へ。 主水郭の方から城攻めします。 |
【主水郭跡】 ここに主水郭の指標があるが、坂戸城跡北側尾根上にある複数の曲輪の総称と思われる。 |
【主水郭跡の大堀切】 北端にある大堀切、この箇所からは崖上で降りれず、別の下道でもたどり着けませんでした。 |
【主水郭跡】 郭の下に行ける道へと下りてみる。 |
【横堀】 郭の下を少々進むと横堀があったが、先ほどの大堀切には繋がってなかった。 |
【主水郭跡】 |
【主水郭跡】 | 【主水郭跡から実城へ向かう城道から見た大城・小城】 | 【坂戸山北尾根の堀切】 |
【坂戸山北尾根の堀切】 | 【坂戸山北尾根の堀切】 | 【北尾根の城道脇の城塁】 城塁の上は小さな郭のようになっている。ここに何かがあったのだろうか?。 |
【坂戸山北尾根の堀切】 | 【主水郭と桃之木平の分岐点】 | 【分岐したの郭】 |
【分岐下の郭】 分岐の下は段郭を構成している。 |
【桃之木平跡】 この曲輪もいくつかの段郭で構成してある。 |
【水場跡指標】 |
【水場跡】 沢があるだけだがこの高さに湧水があることが重要なのだろう。 |
【桃之木平跡】 辺り一面カタクリで覆われていた。 |
【桃之木平跡北側】 上の稜線上が主水郭跡になる。 |
【桃之木平跡南側】 | 【廣瀬郭下の郭】 | 【廣瀬郭(二ノ丸)跡】 三ノ丸とするものもある。 |
【実城下帯郭北側の石垣】 | 【帯郭跡】 実城の北と東を囲うような郭。 二ノ丸とするものもある。 |
【実城跡】 標高634m、スカイツリーと同じ高さである。 |
【実城からの西側眺望】 眼下に御館跡やJR六日町駅が見える。 |
【櫓台跡(富士権現社)】 日陰のある屋根下などはハイカーで周囲は埋め尽くされている。 |
【櫓台跡(富士権現社)】 |
【櫓台跡(富士権現社)からの北側眺望】 | 【実城から大城・小城へ】 | 【実城下帯郭南西下切岸にある石垣】 |
【切岸の石垣から見た富士権現社方向】 | 【帯郭跡と城道】 | 【実城側より見た大城・小城】 |
【大城・小城へと続く南側尾根道】 この尾根上にも複数の堀切がある。 |
【南側尾根道の堀切】 | 【小城跡】 烽火台跡と言われている。 写真は実城方向を写している。 |
【大城の城塁】 | 【大城内の土塁】 | 【大城内の櫓台跡】 |
【大城内櫓台上より見た土塁】 櫓台と土塁の間には何らかの建物があったようです。 |
【大城より見た実城方面】 | 【大城より見た実城】 |
【実城の薬師尾根方面の虎口】 | 【薬師尾根の堀切跡】 | 【薬師尾根から見た北側尾根(主水郭跡)方向】 |
【薬師尾根・一本杉との分岐点】 城坂下に繋がっていると思われる。 |
【薬師尾根道】 薬師尾根の上の方は整備された階段が続く、坂道と比べ登りやすいといわれているようだが、ハイカーの多くは城坂を上り、薬師尾根を下りる人が多いように思えた。 |
【御居間屋敷跡との分岐点】 |
【御居間屋敷跡】 | 【銭淵公園内直江兼次公伝世館】 | 【銭淵公園内喜平次・与六像】 この銅像の後ろにある池は、諸説がありますが長尾政景と宇佐美定満が舟遊びをしていて溺死した野尻池とも伝えられています。 |