城名 | 忍城(別名:忍の浮き城、亀城) | |||
住所 | 〒361-0052 埼玉県行田市本丸17-23 |
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入場時間 | 行田市郷土資料館 開館時間:午前9時〜午後4時30分 (入館は午後4時まで) 休館日 :月曜日、祝日の翌日、毎月第4金曜日、 年始年末 |
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入場料 | 行田市郷土資料館 一般200円、高校生・大学生100円、小中学生50円 |
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指定文化財 | 史跡 | |||
城郭構造 | 平城 | |||
天守構造 | 御三階櫓(模擬) | |||
築城主 | 成田顕泰 | |||
築城年 | 文明11年(1479)頃 |
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主な改修者 | 松平家忠 | |||
主な城主 | 成田氏泰、成田氏長、松平忠吉、阿部忠秋、松平忠明 | |||
位置 | 北緯36度8分13.74秒 東経139度27分10.36秒 |
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【沿革】 文明10年(1478)頃、地元の豪族であった成田正等・顕泰父子がこの地を支配していた扇谷上杉家に属する忍一族を滅ぼし、築城したといわれている。翌年、これに反発する扇谷上杉家に忍城を攻められるものの、同家の家宰太田道灌の仲介によって和解して以後、成田氏が領有した。河越夜戦後、北条氏の勢力が関東に及んでくるが、成田氏はこれに反発し、天文22年(1553)に北条氏康が忍城を攻めるが、攻略に失敗している。 永禄2年(1559)、上杉謙信が関東に遠征してくると、成田氏はこれに恭順した。永禄4年(1561)の上杉謙信による小田原城攻めには、当時の城主の成田長泰も参加している。しかし、鶴岡八幡宮での関東管領就任式で謙信に無礼を咎められて離反。天正2年(1574)には上杉謙信に忍城が包囲されるが、持ちこたえている。 天正18年(1590)の小田原征伐の際、城主・成田氏長は小田原城にて篭城。家臣と農民ら三千の兵が忍城に立てこもった。豊臣方の忍城攻めの総大将は石田三成。三成は、本陣を忍城を一望する近くの丸墓山古墳(埼玉古墳群)に置き、近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決定し、長さ28kmにも及ぶ“石田堤”を建設した。しかし忍城はついに落城せず、結局は小田原城が先に落城したことによる開城となり、城側は大いに面目を施すことになった。このことが、 忍の浮き城という別名の由来となった。 徳川家康の関東入部後は、家康の四男の松平忠吉が忍城に配置され、以後、忍藩10万石の政庁となった。寛永年間に阿部氏が入ると城の拡張整備が行われ、往事の縄張りは元禄15年(1702)頃に完成したと考えられている。 忍城の城下町は、中山道の裏街道宿場町としての機能や、付近を流れる利根川の水運を利用した物流路としての機能を兼ね備えて繁栄する。また江戸時代後期からは、足袋の産地として名をはせるようになる。 廃藩置県に伴い忍県の県庁が二の丸に置かれたが、その後廃城となって城内の構造物はほとんど破壊され、城跡は公園(成田公園→忍公園)として整備された。 忍公園が拡張され、昭和24年(1949) 10月には本丸跡に行田市本丸球場が造られたが、後に移転し、1988年2月17日にはその跡に行田市郷土博物館が開館、御三階櫓は博物館の一部として復元されている。ただし外観や構造に根拠はなく位置も史実とは異なり、内部は展望室や行田の歴史を写真や資料で紹介する展示室になっている。また、周囲には土塁の一部が残存している。 【感想】 最近は”のぼうの城”の影響もあり、訪れた時も多くの人が来ていました、しかし、資料館の方はいまいちですぐ出てきちゃいました。忍城に近くには東照宮・諏訪神社がありその周りには当時を偲ばせる堀みたいなものもあり、良かったです。 水城公園には当時の三重櫓跡を示す石碑もありますし、さきたま史跡には水攻めの際に石田光成が本陣を置いた丸墓古墳に来ますと忍城も遠くですが見ることができ水攻めの規模も実感が湧いておススメです。 |
100名城 スタンプ |
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スタンプ 設置場所 |
行田市郷土博物館 | |||
登城日 | 一回目:2009年6月7日(日) 二回目:2020年8月5日(水) |
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LINK | 行田市-忍城HP |
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忍城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【竪三つ引両】 (藤原北家流?/武蔵七党か) 成田家家紋 |
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【徳川葵】 徳川家家紋 |
【模擬冠木門】 | 【模擬三階櫓と模擬東門】 | 【模擬三階櫓】 | |
【模擬三階櫓】 | 【土塁と塀】(復元) | 【土塁と塀】(復元) | |
【土塁と塀】(復元) | 【模擬東門】 | 【城址碑】 | |
【模擬東門と模擬三階櫓】 | 【忍城の鐘】 | 【二ノ丸跡】 現在は忍中学校となっている。 |
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【三の丸跡】 現在は中央小学校となっている。 |
【博物館と駐車場の模擬仕切門】 | 【忍城本丸跡碑】 博物館駐車場内にある。 |
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【石垣に使われていた石】 | 【内側より見た土塁と塀】 | 【伝進修館表門】 藩校「進修館」の表門であったと伝えられている門。高麗門形式。 |
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【本丸土塁(現存)】 | 【本丸土塁(現存)】 | 【忍城鳥瞰図】 東照宮の前の説明板。 |
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【忍東照宮】 | 【諏訪曲輪御門跡】 忍東照宮の北出口付近にある。 |
【諏訪神社裏手の池】 ここも忍城の堀の一部。諏訪神社や東照宮の周りには当時を偲ばせるかのように細い堀がある。 |
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【水城公園東側池】 | 【しのぶ池】 | 【しのぶ池】 | |
【しのぶ池】 | 【水城公園西側池】 | 【水城公園北側】 | |
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【三重櫓跡】 水城公園北側出口、ゲートボール場付近にある。 現在の模擬御三階櫓は、本来この位置にあった。 |
【忠堯候・忠国候御隠居所跡】 三重櫓跡碑斜め前にある。 |
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【さきたま古墳公園】 | 【さきたま史跡全景】 説明板の写真より。 |
【史跡埼玉古墳群碑】 この道は石田堤跡になる。 |
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【丸墓山古墳】 忍城攻めの時に石田光成が本陣を置いた陣所跡。 |
【陣所跡より忍城を望む】 | 【陣所より南を望む】 この下南に向かった道が石田堤跡。 |
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【石田堤跡】 | 【石田堤跡】 | 【丸墓古墳】 日本一大きな円墳。 |
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【稲荷山古墳】 ここから国宝「金錯銘鉄剣」他が発見された。国宝はさきたま史跡の博物館で見ることができます。 |
【将軍山古墳】 横穴式石室を建物の中から見学できる施設があります。 |
【愛宕山古墳】 さきたま古墳群の中で一番小さな前方後円墳。 |
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【双子山古墳】 最も大きな前方後円墳。 |
【鉄砲山古墳】 | 【奥の山古墳】 | |
ジャンル:名物 店名:かねつき堂 住所:埼玉県行田市本丸13-13 TEL:048-556-7811 写真は、ゼリーフライ 1人前2個 \200- (2009年時点) 行田で有名なB級グルメ。コロッケの様ですが、じゃがいもではなくおからを使用しているのでとてもヘルシーです。 ゼリーの語源は銭からきているらしいです。 店内で食べているのに、ほとんどの地元のお客さんは持ち帰りを別に注文していました。 このゼリーフライと対をなすのが『フライ』こちらも美味しそうでした。 |