城名 本佐倉城(別名:将門山城)
住所 〒285-0926
千葉県印旛郡酒々井町本佐倉781

〒285-0041
千葉県佐倉市大佐倉
にまたがる
入場時間
入場料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 連郭式平山城
天守構造 なし
築城主 鹿島輔胤
築城年 文明年間(1469〜1468)
主な改修者 千葉氏
主な城主 千葉氏、小笠原吉次、土井利勝
位置 北緯35度43分39.13秒
東経140度15分32.43秒
【沿革】
本佐倉城は文明年間に千葉輔胤が千葉本宗家代々の居城である亥鼻城(千葉城)から移転して築城した大規模城郭である。
亥鼻城より水運のある便の良い印旛沼に臨む佐倉の地に居城を移したのである。以来、戦国期千葉氏九代の居城として、改修を繰り返しながら天正18年(1590)の千葉氏が滅亡(小田原陣後に改易)するまで存続する。
徳川氏に接収されて一旦は破却され、代わりに陣屋が設置された。
慶長15年(1610)、軍事上の必要から同地に封じられた小笠原吉次、土井利勝が再び本佐倉城に入って佐倉藩の藩庁が置かれた。
元和元年(1615)、藩庁の佐倉城への移転と一国一城により廃城となった。なお、本佐倉の城下町は酒々井宿に移設されて成田街道の宿場町になった。

【感想】
続日本100名城に選出され整備も進んだようです。
夏場になるとセッテイ付近は藪化するため、冬場に行くことをおススメします。
復元はされていませんが場所ごとに説明板が置かれ、その中の図に復元した様子が描かれています。


続100名城
スタンプ
スタンプ
設置場所
・京成大佐倉駅(改札外)
酒々井町中央公民館
登城日 一回目:2009年6月20日(土)
二回目:2019年1月4日(金)
LINK 酒々井町公式WEB
本佐倉城-Wikipedia
城主家紋 【月星(九曜に半月)】
(桓武平氏良文流)
千葉家家紋
※俗にいわれる星と三日月を組み合わせた「月星」は、江戸時代以降に成立したもののようだ。

【八つ水車】
土井家家紋

                      

探訪

※城内案内図より(加筆有り)

※東山馬の説明板より
【本佐倉城址全景】 【東光寺ビョウ碑】
2つの北側に突出するもの見台によって守られた広大な空間になっている。

【虎口より見た東光寺ビョウ】
【虎口】(MAPの@
手前の土塁は蔀土塁になっており、通路は堀底道になっている。
【城道】 【城道】
【セッテイ空堀】(MAPのA
ここの空堀は最も大規模なものでセッテイ山との高低差は約16mと城内最大であり、堀底幅は広いところで約7mあります。
【セッテイ空堀】(MAPのA 【城道】
【セッテイ虎口】(MAPのB
土塁と土塁に挟まれた右俺の坂虎口で木戸やそれに伴う柵や塀などが置かれていたと思われます。
【セッテイ空堀】(MAPのA 【セッテイ山に続く城道】
【金明竹の小径】(MAPのC
金明竹とは真竹の一種で節と節の間に緑と薄い黄色が縞模様の様に表れるもので、この辺りにだけ群生しています。
【セッテイ山虎口】 セッテイ山】
セッテイ山は人質曲輪とも、接待館郭とも推測されます。
【倉跡-セッテイ空堀】(MAPのD
セッテイと倉跡を分ける空堀。両曲輪との高低差は10m近くあります。また堀底幅は広いところでは9m近くあり、堀底を進むにもまっすぐ見通せないように、曲がりくねって作られています。この堀底道を東光寺ビョウ方向に進むと南奥虎口があります。
【倉跡-セッテイ空堀】(MAPのD 【階段】
あくまでも管理用らしい。
この上が倉跡になります。
【東山虎口と南奥虎口】(MAPのE
東光寺ビョウ手前右手に南奥虎口があり、左奥に東山虎口があります。
【本佐倉城跡碑と説明板】(MAPのF 【東山馬場跡】
【東山】 【東山】
この上にビューポイントが設置されています。
【東山】
【東山】(MAPのG 【東山より見たW郭】 【W郭】
【W郭虎口】(MAPのH
現道となっている堀底道を登って行くと、上りきったところに塀跡と、塀跡の先には門跡が見つかりました。
【倉跡(V郭)】
その名の通り倉庫群が存在したと考えられます。確認調査によって掘立柱建物が広範囲に分布することが分かっています。また炭化した米が多く見つかっています。その他には、供膳具や調理具、貯蔵具なども多く見つかっている。
【諏訪神社参道】
倉跡の一角にあります。
【諏訪神社】(MAPのI 【奥ノ山(U郭)】
奥の山は別名妙見郭とも呼ばれています。発掘調査によって14m四方の基壇が見つかっており妙見宮の跡と思われます。本佐倉城の城主はここで元服しており、妙見様は千葉氏の守護神とされています。
【妙見宮跡】(MAPのJ
【奥ノ山下の城道】 【奥ノ山下の城道】 【城山通路】(MAPのK
この通路は城山へ登るための唯一の通路です。通路幅は180cm、何度も蛇行して城山虎口へと向かいます。この場所から城山虎口までの高低差は7mあり、その急な勾配は容易く城山へは登らせません。
【城山虎口】(MAPのL
城山虎口は左折れの坂虎口の形態をとります。左に直角に曲がる手前に門跡が見つかりました。門の左右には塀が連結し、門を入った目の前は土の壁と、その上にはやはり塀がめぐっていたことが発掘調査によって分かっています。
【城山(T郭)】 【城山門跡】(MAPのM
この場所は平成18年度の発掘調査により門跡が見つかりました。この門を潜るとその先は主殿となります。
また、門の手前で通路が二方向に分かれ、一方(右)は門の方向へ、もう一方(左)は奥の山へ渡る木橋(推定)方向へ向います。
【城山(T郭)】 【主殿跡】 【建屋跡】
【W郭の方に続く通路】 【大堀切】(MAPN
大堀切は城山と奥ノ山を分ける堀切です。
【大堀切】(MAPN
W郭虎口から続く通路は、大堀切の手前で左に折れ、高低差2m程のスロープを登ります。登りきったところが平坦面になって、木戸跡が見つかっています。
【東山虎口・上側門跡】(MAPのO
東山虎口は2つの門と、蛇行した狭い通路、内枡形の長方形の空間によって構成され、非常に厳重に守られているのが分かります。
【東山虎口】(MAPO 【東山虎口・下側門跡】(MAPのO



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