城名 | 杉山城(別名:初雁城) | |||
住所 | 〒355-0211 埼玉県比企郡嵐山町杉山 |
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入場時間 | ー |
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入場料 | − | |||
指定文化財 | 国指定史跡 (比企城館群の一つとして指定) |
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城郭構造 | 連郭式平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 山内上杉氏または北条氏 | |||
築城年 | 永正〜大永期頃(1510〜1525) または永録期頃(1558〜1570) |
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主な改修者 | ー | |||
主な城主 | 杉山氏? | |||
位置 | 北緯36度3分45秒 東経139度18分42秒 |
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100名城 スタンプ |
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【沿革】 この城跡は、戦国時代の築城と推定される典型的な山城です。総面積は、約八ヘクタールにも及び、山の高低差を巧みに利用して十あまりの郭を理想的に配置しています。まさに自然の要害と呼ぶにふさわしい埼玉県内でも屈指の名城に評価されています。現存する遺構の保存状態も非常に良く、複雑に入り組んだ土塁や堀によって構成される城構えには当時の高度な築城技術が偲ばれます。 「馬出」や「枡形」の塁線を屈曲させて構える「横矢掛かり」の多用はその典型とされるものです。また、城の立地についても北方に腰畑城・高見城と連絡し、西方全体に鎌倉街道を見下ろすという絶好の条件を備えています。当時の社会情勢から判断して、松山城と鉢形城とをつなぐ軍事上の重要拠点の一つであったと考えられます。 築城年代や城主名等に不明な点も多いですが、地元では、松山城主上田氏の家臣杉山(庄)主水の居城と伝えています。 しかし、近年の発掘調査によって築城年代は15世紀末から16世紀前葉の土器や陶磁器が出土したことから、長享の乱のあと、山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗するために造った城であった可能性が高いと考えられるようになりました。 現在、後北条氏築城説と山内上杉氏築城説の二つがありこれが杉山城門題となっている。 【感想】 杉山城は小型中世城郭の最高傑作といわれるほど見事な縄張りで、数々の工夫がされている城でそれらが昔のままの状態で良好に残っているのが見事です。 私有地でありながら開放していることに感謝、また私が訪れた時も多数のボランティアの方々が草刈りを行っていました。近くの玉ノ岡中の生徒さんもボランティアでいろいろされているようで、この城がいかに愛されているのかが伺えます。こういった方々のおかげで保存されて行くと思うと感謝の一言に尽きます。 |
スタンプ 設置場所 |
嵐山市役所1Fロビー | ||
登城日 | 一回目:2009年7月5日(日) 二回目:2010年5月30日(日) 三回目:2020年5月31日(日) |
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LINK | 嵐山町観光情報公式HP |
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杉山城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【竹に二羽飛び雀】 (藤原氏勧修寺流) 山内上杉家家紋 |
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【三つ鱗】 (伊勢平氏流) 後北条家家紋 |
【杉山城址全景】 | 【出郭】 積善寺横の道を登って行くと大手の前に配置された出郭に出ます。 |
【大手口】 大手門(一之門)を入ると横矢掛かりの掛かった左側に張り出している土塁から攻撃される仕組みになっています。 |
【大手口】 大手門二之門跡 |
【木橋跡】 大手口がある外郭から馬出郭に渡るための木橋があった跡。 |
【馬出郭】 |
【馬出郭と外郭】 郭ごとが空掘りで区切られていることが見て取れます。 |
【南三の郭】 | 【南三の郭・西虎口】 西へ下ると、細長い帯郭が続きます。右(北)に進むと井戸跡に向かい西側斜面には斜面を登ってくる敵に対して横方向への動きを防ぐための竪堀が数本見られます。 |
【帯郭より南三の丸西虎口を望む】 |
【西側腰郭】 | 【竪堀】 |
【埋められた井戸】 井戸があったが大石でふさがれていた。廃城の時に埋められた様です。廃城の証拠。 |
【本郭・北虎口】 北方面の虎口は、横矢掛かりに守られています。南西の井戸跡方向から帯郭を登り進んできた敵は、大きく回り込まなければ本郭に侵入できないよう工夫されています。 虎口の前には、小さな平場(虎口受け)が見られます。 |
【本郭-城址碑】 |
【本郭内に建つ社】 | 【本郭土塁】 | 【本郭】 |
【本郭より北虎口】 ここから見るとわかるが攻める敵をここから矢で狙えます。これが横矢になります。 |
【本郭より東側郭】 | 【本郭より南方面眺望】 東面帯郭が南へと延びているのがわかります。 |
【本郭・東虎口】 発掘調査により、両側にハの字に開く石積みと、石列を周囲に巡らした虎口が検出されました。 石積みは、壊された後に埋められた様です。 |
【本郭・南虎口】 発掘調査により、周囲には攻撃や防御するための武器としての石が溜めてあった場所が4箇所見つかり、また井戸郭へと通じた木橋の石列が両端に検出されました。 |
【空堀】 本郭(左側)と南二の郭(右側)の間の空堀。 |
【南二の郭】 | 【南二の郭・東虎口】 この虎口から一段下がりますと、馬出状の小さな平坦面(虎口受け)があります。その虎口受けからは、おそらく木橋がかけられ、本郭東側の帯郭とつながっていたと考えられます。 |
【東側帯郭】 帯郭と本郭の間には大規模な横堀がある。 |
【横堀】 東側帯郭にある横堀。 |
【帯郭土塁】 外郭から続く土塁は帯郭になっており、東側は深くて急な2段の斜面に作られ、敵の侵入を見事に防いでいます。この土塁上を進むと、本郭東側堀底へとつながります。 |
【屏風折りの堀】 赤いラインの向こうに見える南二・三の郭の東外側斜面(切岸といいます)は、屏風のように幾度も折れています。 この場所は外郭になります。 |
【屏風折りの堀】 横矢の掛った堀が幾重にも繋がっている。 |
【屏風折りの堀】 | 【屏風折りの堀】 |
【東二の郭】 | 【東二の郭虎口】 東三の郭につながる虎口。 |
【東三の郭】 |
【東三の郭から本郭を望む】 | 【北二の郭】 | 【本郭と北二の郭間の堀切】 |
【東二の郭・枡形虎口】 東三の郭につながる虎口で枡形を形成している。 |
【竪堀】 | 【北三の郭・搦手口】 |
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【搦手側登城口】 | 【市野川】 杉山城はこの市野川と粕川との間にある。 |
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