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城名 宇都宮城(別名:亀ヶ岡城)
住所 〒320-0817
栃木県宇都宮市本丸町、旭1丁目地内
入場時間 午前9時〜午後7時まで
(年末年始は休み)
入場料 無料
指定文化財 史跡
城郭構造 輪郭悌郭複合式平城
天守構造 なし
築城主 藤原秀郷または藤原宗円
築城年

平安時代末期

主な改修者 本多正純
主な城主 宇都宮氏、蒲生氏、本多氏、奥平氏、戸田氏
位置 北緯36度33分15秒
東経139度53分8秒
地図 富士見櫓
清明台
清水門跡
伊賀門跡
本丸跡
【沿革】
平安時代後期
宇都宮城を築いたのは、藤原秀郷とも藤原宗円とも言われており、時代は平安時代後期と考えられています。

中世(鎌倉時代〜戦国時代)
城主であった宇都宮氏は、鎌倉幕府の有力な御家人であるとともに、京都ともつながりが深く、5代頼綱(蓮生)は百人一首の成立にも深くかかわっていました。
日本中が戦乱に巻き込まれた南北朝時代から戦国時代、このころの宇都宮城は敵の攻撃に備えるため、堀と土塁を幾重にもめぐらせた守りの堅い城になっていきました。
宇都宮城をめぐっての戦いも行なわれ、城下町が焼かれたこともありました。

近世
小田原征伐に続く宇都宮仕置ではその舞台となり、豊臣秀吉に謁見するため奥州の大名らが宇都宮城に参城した。宇都宮氏は所領を安堵され羽柴姓を授かるなど、秀吉との仲は良好であったが、慶長2年(1597年)に突如改易された。宇都宮氏改易後の慶長3年(1598年)、宇都宮城には蒲生秀行が18万石で入り、日野町や紺屋町を造成して宇都宮城下の商業整備を進めた。

江戸時代
江戸時代には譜代大名の居城となりました。その中でも元和5年(1619)、徳川家康の懐刀と言われた本多正純が15万5千石で入封。正純は、宇都宮城を近世城郭とする一方、城下の日光街道と奥州街道を整備して町割を行い、城内の寺社群(延命院、長楽寺など)を街道沿いに再配置するなど城下の防御能を向上させると同時に、城内に将軍宿泊所となる本丸御殿を建設し、また宇都宮宿の宿機能・駅機能を整備するなど日光社参に関する設備向上を促進した。この大改修工事の結果、宇都宮城下は城下町、門前町、宿場町の各機能を持つ都市に再編された。宇都宮城改修に際し、正純は幕府の意向に順じ宇都宮城に天守は設けず2層2階の清明台櫓を天守の代わりとしたが、正純の意に反して宇都宮城改修にまつわる正純謀反の噂が流布され、元和8年(1622年)に正純は改易された(宇都宮城釣天井事件)。

近代
宇都宮は明治元年(1868年)戊辰戦争の戦地となり、宇都宮城の建造物は宇都宮の町並み共々焼失した(宇都宮戦争)。明治23年(1890年)には城郭一帯が民間に払い下げとなり、荒廃した城跡の形跡は益々失われていった。
昭和30年代頃までは大きな水濠が残存していたが、衛生上の事情を理由に埋め立てられた。


【感想】
全く遺構がなかった宇都宮城がここまで復元できたのはいいのだが、その復元にはちょっと疑問である。土塁はコンクリート製で真ん中に出入口をつくるなど・・・
防災施設としてというのはわかるが、やり方があるのでは?と思います。
登城日 2009年8月13日(木)
LINK 「よみがえれ!宇都宮城」市民の会HP
宇都宮城-Wikipedia
城主家紋 【右三つ巴】
(藤原氏道兼流)
宇都宮家家紋
【対い鶴】
(藤原氏秀郷流)
蒲生家家紋
【立ち葵】
(藤原北家兼通流)
本多家家紋
【六つ星】
(北家藤原氏流)
戸田家家紋

                      

探訪
【土橋の石垣】
これは、三の丸と二の丸をつなぐ土橋の石垣を復元したもの。
【二の丸広場】
二の丸の南側にあたる。
【富士見櫓】
本丸土塁南西部にあった櫓で、江戸時代の絵図には二階建て瓦葺きで描かれており、広さ三間(5.9m)×四間(7.9m)と記録されている。
【土塁】
土塁といえるかどうか・・・内部はコンクリート製で土塁中央には、大きな入口が出来ている。防災施設の一環とはいえこれはどうなのか?
【清明台と富士見櫓】
【清明台】
本丸の土塁北西部にあった櫓で、江戸時代の絵図には二階建て瓦葺で描かれており、広さ三間(5.9m)×三間半(6.9m)と記録されています。清明台のあった部分の土塁は、ほかに部分よりも高く、天守閣の役割を果たしていたのではないかといわれています。
【清水門跡】
本丸正面の出入口の門。日光社参の時には、将軍もこの門を通って本丸の御成御殿に向かった。
【本丸跡】 【清明台への階段】
【本丸跡】
この場所に御成御殿があった。
【清明台】 【土塁上】
正面は富士見櫓、エレベータも設けられている。
この土塁の中には、「宇都宮城ものしり館」や「まちあるき情報館」があります。その他防災時の備蓄倉庫にもなっている。
【富士見櫓】 【清明館】
この中には「清明館歴史資料館」があります。
伊賀門跡】
本丸南側の出入口(搦手側)。



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