城名 小机城(別名:飯田城、根古屋城)
住所 〒222-0036
神奈川県横浜市港北区小机町
入場時間
入場料 無料
指定文化財 史跡
城郭構造 連郭式平山城
天守構造
築城主 山内上杉氏か?
築城年
主な改修者 長尾氏、北条氏
主な城主 山内上杉氏、長尾氏、笠原氏、後北条氏
位置 北緯36度30分44.81秒
東経139度35分37.36秒
【沿革】
小机城が築かれた時期についてはよくわかってはいないらしい。一説には1400年代の中頃だろうとも言われ、当時の関東管領の上杉氏による築城と考えられているようだ。小机城が歴史の舞台に登場するのは1400年代後半のことだ。山ノ内上杉氏の家臣であった長尾景信の死後、景信の嫡子景春が家督相続争いに端を発して反乱を起こしたとき、景春に味方した矢野兵庫助らが城に立てこもり、北方の亀の甲山(現在の新羽町亀ノ子橋付近)に帯陣した上杉方の太田道灌の率いる軍と戦いました。
城は文明10年(1489)攻め落とされ、上杉氏もやがて北条早雲に追われ、小田原北条氏の領土となり、四十余年間廃城となっていました。
大永4年(1524)一族の北条氏堯の城となり、笠原越前守信為を城代として再興しました。
小机城は地理的に、江戸、玉縄、榎下などの諸城を結ぶ位置にあり、この地は以後軍事、経済の両面で極めて重要な役割を果たすことになります。
豊臣秀吉が小田原城を攻め落とし、やがて小田原北条氏が亡び、四代目城主の弥次平衛重政が徳川家の家臣として200石の知行を与えられ、近くの台村(緑区台村)に住むことになり、小机城は廃城、その歴史を閉じることになりました。

【感想】
小机近辺は仕事関係でちょくちょく来ていたのですが、城址には初めて訪れました。登城口を探すのにちょっと看板を気にしていないと分かりずらかったです。最後のは電柱に貼ってあるだけでした。住宅の間を入っていくとそこは根小屋でした。そこから少し上がると立派な空堀が目に飛び込んできます。これだけでも見る価値はあります。ただ難は、薮蚊が多いのと、結構光をさえぎっているのでカメラをじっと構えているのがつらいです。蚊に刺されるは写真はぶれてるのが結構ありました><
虫よけ効いていないし・・・
100名城
スタンプ
 スタン
プ設置場所
城郷小机地区センター
登城日 一回目:2009年8月29日(土)
二回目:2020年9月21日(月)
LINK 小机城-Wikipedia
城主家紋 【竹に二羽飛び雀】
(藤原氏勧修寺流)
山内上杉家家紋
【丸に三つ柏】
(藤原姓)
笠原家家紋
【三つ鱗】
(伊勢平氏流)
後北条家家紋

                      

探訪

根古屋の案内板より

本丸案内板より
【小机城全景】 【根古谷】
登城道を上がると根古谷広場があり、トイレと案内板がある。
【根古谷】
トイレ側と道を挟んだ反対側、竹林になっている。
【登城道】
ここから上ると本丸、二の丸の分岐点に出ます。
【空堀】
分岐点を左に進んだ本丸付近からみた空堀。
【空堀】
本丸を正面に見て左側の空堀。この空堀沿いに左に進むと富士仙元へ。
【本丸虎口の模擬冠木門】 【小机城址碑】
冠木門入ってすぐ右にというか右下にあります。
【本丸(東曲輪)跡】
野球の練習場のように整備されていました。
【井楼跡】
本丸東南隅にある井楼跡。
【つなぎ曲輪】
本丸と二の丸の間の曲輪。
【空堀】
本丸と二の丸の間の空堀。
【空堀底】
本丸と二の丸の間の空堀底。。
【二の丸矢倉跡】
矢倉のあった場所の入り口付近に立つ案内板。
【二の丸矢倉跡】
【二の丸土塁】 二の丸井楼跡】 【二の丸矢倉台】
土塁上に矢倉があった。
【矢倉台上】
礎石のようなものもあったが、矢倉のものかは不明。
【二の丸広場案内板】 【二の丸跡(西曲輪)】
【空堀】 【空堀】 【空堀底】
この堀は、途中で帯曲輪のように二の丸を囲うようになっている。周りは、孟宗竹で竹林になっている。
【二の丸(西曲輪)下】 【空堀】 【帯曲輪の祠】
この反対側の下段には、稲荷神社があった。下には行けないようになっていた。
【富士仙元への道】
本丸への分岐に戻り今度は第三京浜により分断された富士仙元へ。そのためには一度、山を降り第三京浜を越えなくてはならない。
【横浜線と小机城】
このトンネルの上には第三京浜が通っているその第三京浜に小机城は分断されている。
【富士仙元への登城道】
【第三京浜と小机城そして日産スタジアム】 【富士仙元】
半分くらいは畑になっている。
【富士仙元】
残り半分はこんな感じに整備されている。
【出城への虎口?】
本丸にあった案内板によればこの先にちょうど出城があるように書いてあったが、いまでは住宅地になっていました。
【土塁?】
富士仙元の真ん中付近にこの小さな土塁のような山がある。
整備されている側のほうに細い側道があり登ることができる。
【富士仙元大菩薩碑】
「富士仙元大菩薩」と彫られた石碑が建っていた。



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