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城名 | 世田谷城 | ||
住所 | 〒151-0021 東京都世田谷区豪徳寺2-14-1 |
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入場時間 | ー | |||
入場料 | 無料 | |||
指定文化財 | 東京都指定文化財 | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 吉良治家 | |||
築城年 | 応永年間(1394〜1426) | |||
主な改修者 | 吉良氏 | |||
主な城主 | 吉良氏 | |||
位置 | 北緯36度38分55.62秒 東経139度38分50.69秒 |
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地図 | 1 | 堀跡 | ||
2 | 東側土塁 | |||
3 | 西側土塁 | |||
4 | 豪徳寺 | |||
5 | 世田谷代官屋敷 | |||
【沿革】 世田谷城は武蔵野台地の一角、南東に張り出した舌状台地の先端部に立地し、西・南・東の三面に烏山川が蛇行し、北には小支谷が入る。14世紀後半に吉良治家が居住したのに始まると伝える。 吉良氏は清和源氏・足利氏の支族で、世田谷吉良氏はその庶流にあたる。はじめ鎌倉公方に仕え、15世紀後半に関東が乱れると関東管領・上杉氏やその家宰・太田道灌に与力し、16世紀には北条氏と結んだ。北条氏と上杉氏との勢力争いで、亨録3年(1530)には世田谷城は攻略されたと伝えるが、のち吉良氏の手に復した。この間、吉良氏は北条氏と婚姻関係を結び、その庇護下にあったが、天正18年(1590)、豊臣氏の小田原攻略により、世田谷城も廃城となった。 世田谷城の濠・土塁の構造は天文6年(1537)の再築とされる深大寺城のそれと類似しており、16世紀後半に防御の為、大改築がなされたことが窺える。 【感想】 あまり期待してはいなかったのですが、城碑公園自体は公園整備も有り改変されていますが堀跡や土塁が残っていてよかった。この土塁も住宅街の方では殆ど改変を受けず残っているのが良い。 主郭部分は、豪徳寺境内で城址公園は外郭にあたるようです。 |
登城日 | 2010年1月17日(日) | ||
LINK | 世田谷区公式HP |
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世田谷城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【二つ引両】 (清和源氏足利氏流) 吉良家家紋 |
【城址全景】 来訪したこの日は世田谷城址公園の改修工事が始まっており西側部分には入れませんでした。 |
【城址碑】 | 【城址碑】 こちらは城址の説明が刻まれています。 |
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【堀跡】 | 【櫓台跡?】 公園整備で田が入りすぎていてよくわからない。 |
【堀と土塁】 下方は公園整備のために手が加わっています。 |
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【土塁】 下方は公園整備のために手が加わっています。 |
【堀と土塁】 ここも公園整備の手が入っています。 |
【土塁】 フェンスに囲まれた部分は住宅街の敷地なのだろうか手がつけられていないようです。 |
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【堀と土塁】 城址公園北端で住宅との境界線。 |
【土塁】 境界線から北上すると空き地があり、この土塁を目にすることができますが、中には入れないので望遠で撮影。 |
【土塁】 豪徳寺正門近くから目に入る土塁で、城址公園からつながっている。ちなみに世田谷城の主郭部分は豪徳寺境内とされています。 |
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【土塁】 この土塁だが、豪徳寺の参道側にもう一つ土塁があることから二重土塁ということが分かり、平らな部分は堀で、その堀跡に住宅(豪徳寺住宅)が建っている。 |
【土塁】 こちらが豪徳寺参道側の土塁。左端に少し写っているのが豪徳寺住宅。 |
【土塁】 豪徳寺側の土塁を豪徳寺住宅側より見てみると、こちら側からでは土塁とは思えない状態でした。 |
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【豪徳寺参道】 | 【豪徳寺山門】 | 【仏殿正面】 | |
【仏殿裏面】 | 【仏殿横面】 | 【仏殿前面】 | |
【三重塔】 | 【招き猫と猫観音】 三重塔北面(招猫殿と向い合わせの場所)2層には招き猫と猫観音が置かれている。 |
【鐘堂】 江戸時代初期製作の梵鐘が現在でも使われている。 |
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【?】 | 【?】 | 【猫観音を祀る招猫殿】 彦根藩二代目藩主、井伊直孝が鷹狩りの帰りに、夕立に見舞われた。雨宿り場所を探し困惑していると、 豪徳寺の前で寺の和尚さんが飼っていたネコ(タマという名前だったとされる)が、手招きするような仕草をしていた。 そこでお寺の門をくぐり、雨宿りしながら説法を聞いていると、轟音と共に稲光が。なんと、今しがた通った道に雷が落ちたのだった。命拾いした直孝は感謝し、お寺の再建を約束。これが縁で、豪徳寺は井伊家の菩提寺となった。老中・井伊直弼のお墓がここ世田谷にあるのも、そういうご縁によるとされる。 また、死後に祭られたタマにちなんで、片手をあげた猫の像を造ったところ人気を呼んだのが、招福猫児のルーツとなったと伝えられる。 |
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【招き猫の奉納所】 | 【井伊家墓所入口】 | 【井伊直孝公の墓】 井伊家2代目になります。 |
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【井伊直弼公の墓・・・】 白いカバーで覆われている場所がそうなのですが墓石の改修?でフェンスに囲まれており、これより先は入れませんでした。訪れる方は多かったのですがみなさん残念そうでした。 |
【豪徳寺境内の土塁跡?】 |
【豪徳寺東門】 | |
【表門】(重文) | 【主屋玄関部分右側】(重文) | 【主屋玄関部分左側】 | |
【主屋南側】 | 【井戸と蔵】 |
【主屋西側】 | |
【白州通用門】 | 【白州跡】 | 【郷土資料館】 |