powered by 地図Z ※赤線は大体の位置を示しています。 | 城名 | 片倉城 | ||
住所 | 〒192-0914 東京都八王子市片倉町2475(片倉城跡公園) |
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入場時間 | − | |||
入場料 | 無料 | |||
指定文化財 | 東京都史跡 | |||
城郭構造 | 梯郭式平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 長井時広? | |||
築城年 | ? | |||
主な改修者 | 後北条氏? | |||
主な城主 | 長井氏 | |||
位置 | 北緯35度38分22.51秒 東経139度20分16.74秒 |
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地図 | 1 | 本丸 | ||
2 | 二ノ丸 | |||
3 | 馬出 | |||
4 | 大手口 | |||
5 | 奥の沢 | |||
【説明】 丘陵上に二本の空濠があって二つの郭に分かれている(地形でみると三の郭らしきものもある)東の郭が城の主郭(本丸)と思われ、『武蔵名勝図会』には、「空濠深く、南の隅に当たりて堀切の外に高く築きあげたる独立の地あり、物見櫓など構えたるにや」と見られる。 西側の郭は「南の方に表口と見えて坂道の跡あり、平地へ入口のところは左右築地の間二、三間切れて見ゆれは、ここは城門口なるべし」とあって、おそらく大手口であったろうと考えられる。 城の鬼門に住吉神社があり、城主と目される大江備中守師親が長門国住吉神社を勧請したものであると言われるが確証はない。 それもそのはず、住吉神社下の住吉神社の説明板の由緒を見ると、「鎌倉管領片倉城主、長井大膳大夫道広が応安5年(1372)城の鎮守の守として、摂津国住吉大社を勧請したのである。」とある。 【感想】 全体を見て回ると北側は天然の谷(切岸)と湿地になっており、南側も急峻であった。城としてどのように機能していたのかは、わからない点が多いようだが地形を見る限り堅固そうに見える。 ただし、三ノ丸が機能していればの話だが、三ノ丸側は現在は平坦なので当時はどのようになっていたかはわからない。 |
登城日 | 2010年1月30日(土) | ||
LINK | 八王子市公式HP〜片倉城址公園 |
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片倉城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【一文字に三つ星】 (大江氏流) 長井家家紋 |
※城址案内板−住吉社(加筆あり) |
【城址入口】 城址南側入口。 |
【竪堀】 | 【空濠】 本丸と二ノ丸の間の空濠。右側が本丸、左側が二ノ丸。 |
【木橋】 | 【横矢掛りの空濠】 木橋下より。当時はこの濠ももっと深いものであった。 |
【横矢掛りの空濠】 左写真の反対側より。 |
【本丸】 周りには土塁が少し見られる。 |
【本丸下の腰郭】 ここに住吉神社が建つ。 |
【物見櫓跡】 |
【木橋】 | 【二ノ丸】 主郭の二倍くらいの広さがある。 |
【大手口虎口跡】 二ノ丸の南側にある。 |
【大手口虎口跡】 案内板を見ると登ってきた登城口へつながっているようです。 |
【三の丸と空濠】 二ノ丸から見た三ノ丸と空濠。 |
【空濠】 二ノ丸と三ノ丸の間の空濠。 |
【三の丸】 現在は畑になっている。『武蔵名勝図会』には三ノ丸の記載はないようですが、地形的にここは三ノ丸と思える。広さは二ノ丸以上あり、本丸が3つほど入るのではないだろうか。 |
【馬出し】 二ノ丸北側にある休憩広場となっている部分だが左右に虎口を持っている(濠でもあるようです。)。 |
【本丸土塁】 腰郭より見た本丸土塁。 |
【住吉神社】 腰郭に建つ。 |
【住吉神社参道】 | 【住吉沼】 住吉神社下にある。 |
【片倉沢】 | 【切岸】 本丸と二ノ丸の北側にある谷。 |
【奥の沢】 二ノ丸と三ノ丸の北側の谷。 |
【奥の沢】 | 【奥の沢全景】 | 【水車小屋】 奥の沢からの水を利用した水車。 |
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【奥の沢下の菖蒲園】 片倉城北側は現在でも湿地になっている。 |
【片倉城全景】 | ー |