powered by 地図Z ※赤線は大体の位置を示しています。 | 城名 | 茅ヶ崎城 | ||
住所 | 〒224-0033 神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東2丁目 (茅ヶ崎城址公園) |
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入場時間 | ー | |||
入場料 | 無料 | |||
指定文化財 | 史跡 | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 後北条氏? | |||
築城年 | ? | |||
主な改修者 | ? | |||
主な城主 | 座間氏? | |||
位置 | 北緯35度32分40秒 東経139度34分44秒 |
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地図 | 1 | 中郭 | ||
2 | 東郭 | |||
3 | 西郭 | |||
4 | 北郭 | |||
5 | 腰郭 | |||
【説明】 茅ヶ崎城は早渕川に張り出す自然の丘のくびれ部を堀切して築かれています。東西330m、南北200m、総面積はおよそ55,000uあります。複数の郭が連なる形式で、郭を取り巻く空堀、郭の外縁部に築かれる土塁などで構成されています。 発掘調査の結果、築城年代は14世紀末〜15世紀前半頃と考えられ、少なくとも2度にわたる大規模な改築のあとが認められました。 築城当初は、東西2つの郭のみでしたが、15世紀後半頃には、土塁の改築と空堀の掘り直しが行われ、郭が西郭・中郭・東郭・北郭の4つになったと考えられます。中郭(当初の西側郭)の南東部から、倉庫と考えられる建物などか見つかっています。この時期に相模国と武蔵国を支配していたのは関東管領上杉氏であり、茅ヶ崎城の改修にも影響を与えていたと推定されています。 16世紀中頃には、二重土塁の間に空堀をめぐらせるなど、後北条氏独特の築城方法による防備の強化がなされています。中郭の東寄りには新たに「中堀」も掘られています。この堀の脇に土塁が見られない点から、防備の強化は未完成のままであった可能性もあります。この頃の城主については、後北条氏の家臣団で小机衆のうちの座間氏や深沢備後守という説もあります。 茅ヶ崎城の南側の谷に望む山すそから、かっては14・15世紀のものと考えられる常滑産の蔵骨器や板碑が発見されています。墓地に伴うこれらの出土品は、「根小屋」とよばれる平時の生活拠点エリアが形成されていた可能性があることを物語っています。 中世城郭は、軍事拠点としてだけではなく、戦時における地域の避難施設でもありました。 (現地案内板より) 【感想】 センター南駅から歩いてすぐなのだが、駅前の地図を見てもこの城址公園が載っていない。多分駅から見える小高い丘がそうなんだろうなと思い歩いて行くと城址入口の交差点があるのでそこを目指せばいいでしょう。 整備されてまだ間もないので綺麗です。ただ整備されすぎている感がありますが住宅街の中、破壊されずよくここまで残っていたと感じるほどです。 |
登城日 | 2010年1月31日(土) | ||
LINK | 横浜市公式HP〜茅ヶ崎城址公園 |
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茅ヶ崎城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【三つ鱗】 (伊勢平氏流) 後北条家家紋 |
※城址案内板(加筆あり) |
【茅ヶ崎城址公園入口】 | 【空堀】 中郭と北郭の間の空堀。 |
【北郭】 |
【北郭土橋跡】 北堀の中央西部を掘り残したもので、上幅は2.9m、下幅は4.5m以上あります。横断面は幅広の大径で東壁は60度、西壁は70度となっていました。 土橋に続いて、幅2メートル弱の土を固めた道路が郭内にのびています。この道が始まる両側には対になる柱穴があり、木戸の痕跡と考えられます。 |
【井戸跡】 北郭内の井戸。 |
【中郭土橋】 右側が中郭、左側が東郭。 |
【中郭土橋】 | 【東郭土塁】 | 【腰郭】 |
【虎口】 城の出入り口は、「虎口(小口)」といいます。いざというときにすぐに封鎖できるように、また敵が侵入しにくいように、できるだけ幅を狭くしています。城の防御と攻撃の両面において重要な場所であり、様々な工夫が加えられました。「横矢」という侵入しようとする敵に横から矢を射掛けるための構造や屈曲した堀などの「折邪(おりひずみ)」とよばれる構造が見受けられます。 |
【空堀】 左側が中郭、右側が西郭。 |
【西郭】 |
【西郭土塁】 | 【西郭土塁】 | 【竹林】 |
【中郭】 | 【建物遺構】 中郭の住居域と見られた部分の内容を明らかにするため、郭内南東部の発掘調査を行いました。その結果、全面に多数の柱穴や土坑が分布し、東西・南北に軸を持つ掘立柱建物が並び、南土塁との間を塀で区切っていることが明らかになりました。建物1〜3内の土坑は陶器の埋納坑と推定され、これらの建物は倉庫と考えられます。また、建物5から炭化材とともに焼けた壁土のかけらが多数検出され、焼失した土倉と判明しました。 このことから、中郭南東部は倉庫地区であることが明確となりました。また、遺構はその重なりや位置関係から4〜5期の変遷があることもわかりました。 住居施設としての建物あとは、これまでのところ確認されていません。 |
【中郭土塁】 |
【根小屋】 城の南側は家臣の屋敷があった。根小屋とは城下町というものがまだない時代の、城主や重臣達の居住地区のことです。 |
【根小屋跡】 | 【東郭虎口】 |
【中郭土橋】 | 【東郭】 東郭は城の中でも最も高い位置にあり、「中原街道」や「矢倉沢街道」の街道筋を見渡せるほど見晴らしがよいため物見台の役割を持っていました。また、城郭の中でも最高所にあるため、戦の際には最後に逃げ込んで籠城する場所と推定されます。 この場所に高さ8mの櫓を建てれば3.5km離れた小机城を望むことができた。 |
【東郭より中郭土橋と中郭】 |
【東郭より北郭】 | 【腰郭】 腰郭は東西60mの帯状をなし、東北部は約二百平方メートルの平場となっています。東側は急な崖で、北側には幅10mほどの北堀があり、東北郭との間を遮断しています。この北堀の内側には土塁が伸びています。 この郭は、武者溜としての役割があったと推定されます。 |
【茅ヶ崎城址全景】 |