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城名 千葉城(別名:亥鼻城)
住所 〒260-0856
千葉県千葉市中央区亥鼻1-6-1
入場時間 千葉市立郷土博物館
午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分)
休館日
月曜日(ただし月曜日が祝日の場合は翌日も休館)
国民の祝日、年始年末
入場料 一般   60円(団体50円)
小中学生 30円(団体25円)
※団体は30名以上
指定文化財
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 千葉常重
築城年 大治元年(1126)
主な改修者 千葉氏
主な城主 千葉氏
位置 北緯36度36分16秒
東経140度7分29秒
地図 T郭
U郭
V郭
土塁
お茶の水
【歴史】
平忠常の子孫であった大椎常兼は、上総国大椎を本拠地として下総国一帯に勢力をふるいました。その子重常は、家督を継ぐと大治元年(1126)拠点を上総国大椎から千葉に移し、新たな武士団(千葉氏)を作りました。
常重の子、常胤の代の治承4年(1180)、平治の乱に敗れ、伊豆国の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝は、平家方の山木兼隆を討つことに成功しましたが、相模国の石橋山の戦いに敗れて房総に逃れました。安房国の猟島に着いた頼朝は千葉介常胤と上総介広常に参陣を命じました。常胤はただちに頼朝に対して参上を知らせ下総国府の平家を討った後、治承4年(1180)9月17日、この国府において頼朝と面会しました。また上総介広常は2日遅れ頼朝に参上しました。
千葉介常胤や上総介広常の協力を得た源頼朝は、10月2日、太日川(今の江戸川)、墨田川を渡って武蔵国に入り、更に相模国の鎌倉に入りました。
頼朝の信頼を得た常胤は、源平合戦や奥州合戦の後、下総国、上総国をはじめ全国各地に広大な所領を得て鎌倉幕府の中でも有力な御家人に成長しました。これらの領地は、その後6人の子が受け継ぎました。これを千葉六党といい、惣領である千葉介を中心に強力に一族が団結し最盛期を迎える。

室的時代になると関東には鎌倉府という役所ができました。この長官は関東公方といい、これを補佐したのが関東管領でした。この体制ははじめはうまくいっていたのですが、四代目の公方であった足利持氏と関東管領であった上杉氏憲の間で争いがおきました。千葉介満胤は氏憲の親戚であったため氏憲側につきましたが氏憲が討たれると持氏に降伏しました。この乱の後足利持氏は室町幕府と対立して戦いとなりましたが、幕府に敗れ自殺しました(永享の乱)。千葉介胤直は、最初、持氏側でしたが、持氏が幕府に攻められると幕府側であった上杉氏について持氏を攻めました。

永享の乱後、足利持氏の末の子万寿丸は助けられ、成長して関東公方になり、足利氏成と名乗りました。氏成はやがて関東管領上杉憲忠と対立し、憲忠を討ちましたが(亨徳の乱)、将軍足利義政の派遣した幕府軍に攻められ、下総国の古河に逃れました(古河公方)。この事件後、関東の豪族達は古河公方側と関東管領上杉側に分かれて戦うようになりました。この争いが千葉氏にも飛び火し、一族や家臣たちは両派に分かれて戦いを始めました。

千葉氏本家の千葉介胤直は始め古河公方派であったが上杉氏につきました。このため古河公方派であった千葉氏重臣原胤房は、胤直の本拠地であった亥鼻城(千葉城)を攻めました。敗れた胤直は、一族とともに下総国千田庄の多古城や島城に逃れましたが、これらの城も胤直の叔父馬加(まくわり)康胤や原胤房によって攻められ、胤直の一族は滅亡します。胤直一族の滅亡後、千葉氏の本家は馬加康胤の子孫がつぎます(馬加系千葉氏)が、胤直の弟胤賢の子実胤と自胤は、上杉氏等の支持下で武蔵国に移り、これに対抗します(武蔵千葉氏)。

本家を継いだ康胤の子孫は戦乱によって荒れた亥鼻城(千葉城)を離れ、新たに印旛沼南岸の本佐倉に城を築き、本拠地を移します。

【感想】
遺構は土塁ぐらいしかありませんが、郷土博物館の資料の多さに驚き千葉氏に関する鎌倉から戦国にかけての出来事を学ぶことができたのは良かったです。
登城日 2010年2月14日(日)
LINK 千葉市立郷土博物館HP
亥鼻-Wikipedia
城主家紋 【月星(九曜に半月)】
(桓武平氏良文流)
千葉家家紋

                      

探訪
【千葉市立郷土博物館】
お城の天守を模しているが郷土資料館で、亥鼻城の遺構ではない。しかし、千葉氏に関する資料は豊富で勉強になる。
【千葉市立郷土資料館】 【千葉常胤公像】
【千葉常胤公と千葉市立郷土博物館】 【展望室から見た亥鼻城址】
郷土資料館前は埋められてしまっているが大きな空堀だった。
【空堀跡】
T郭と郷土資料館の間。
【T郭】 【T郭土塁】 【T郭土塁】
【土塁上に置かれた石器時代の砥石】 【T郭土塁】 【空堀跡】
T郭とU郭間の空堀跡。
【信明社】
亥鼻城U郭跡に建つ。
【亥鼻城址碑】
U郭入口入って左側に建つ。
【物見台跡】
U郭には物見台があったとされる。
【U郭全景】 【下から見たU郭(物見台跡)】 【お茶の水】
湧水で千葉常胤はこの水を持って源頼朝にお茶を献上したと伝えられる。



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