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※赤線は大体の位置を示しています。
城名 小倉城
住所 〒355-0341
埼玉県比企郡ときがわ町田黒
入場時間
入場料
指定文化財 国指定史跡
(比企城館群の一つとして指定)
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 遠山氏か上田氏
築城年

15世紀前半〜後半

主な改修者
主な城主 遠山氏か上田氏
位置 北緯36度1分54秒
東経139度17分41秒
地図 本郭
郭3石垣
大堀切
二重堀切
郭2
【沿革】
小倉城は、外秩父の山地と関東平野の境界にあり、大きく蛇行を繰り返す槻川の先端に構えられている。城跡は槻川-都幾川-古荒川水系を基本に、陸路は鎌倉街道上道と山根筋(八王子-鉢形を結び上州へ抜けるルート)の中間にあたり、中世の幹線ルートを意識した位置となっている。
縄張りの特徴は、自然地形を巧みに取り込むことにより、同心円的に画された総構空間中心に、居館と目される山麓の大福寺平場と、その背後に展開する梯郭式の要害部分が構成されることである。
要害部分は、南北方向に走る主尾根に沿って、郭1と郭2を並列して配置し、郭1南東と郭2南西を堀切、郭3、郭4を設ける。郭5は井戸沢と呼ばれる谷に面している。
郭1は、尾根の最高所に位置し、すべての導線がkの郭に収敵すること、土塁の規模が大きく虎口の構造も厳重であることから、主郭(本郭)として位置づけられる。この他、横堀とセットになったクランク状の塁線の折れ、それに組み合わされた竪堀などの技術的に優れた普請が行われている。

城跡の北東へ1.5kmの嵐山町平沢寺には、長享4年(1488)の須賀谷原の合戦の折に山内上杉方の陣所が置かれている。江戸時代の諸記録には、「新編武蔵風土記稿」に後北条氏重臣遠山氏、「武蔵誌」では、比企戦国史に重要な位置を占めた上田氏を城主としているが、最新の発掘調査による城跡の年代推定は、16世紀前半〜後半と判明している。
また、城跡の最大の見所は、基盤層に結晶片岩の岩盤を持つことに由来する、大規模な石垣である。郭1内部や虎口部、郭3外面を中心に随所に見られ、総延長150m以上、最大高Dmにおよび累々と積まれた様は圧巻であり、「石造りの山城」と呼ぶべき景観である。

小倉城跡は、石垣、縄張の点で優れた遺構を今日に伝えており、戦国期における東国の中小規模山城を代表する史跡と言える。また、木の繁茂した現在でも、青山城跡や菅谷城(館)跡を目視できる位置関係にあり、山稜と河川の織りなす景観に、比企地方の中世を色濃く残している。
(城内案内板より)


【感想】
薄暗い山の中を入っていくと、郭が広がり堀切や竪堀など技巧的な作りとなっている。見どころである石垣は郭3に集中しているが城内のいたるところに石垣の石材が転々としいた。
全体的に薄暗いため写真を撮る場合は手ぶれに注意が必要です。
登城日 一回目:2010年5月30日(日)
二回目:2016年2月27日(土)
LINK  埼玉県立嵐山史跡の博物館HP
埼玉県ときがわ町HP-小倉城跡
城主家紋 【丸に二つ引き両】
(利仁流藤原氏加藤氏族)
遠山家家紋
【釘貫】
(清和源氏小笠原氏流)
上田家家紋

                      

探訪

※表示板より(加筆あり、番号入り)
【小倉城跡入口】@ 【郭4の虎口】A 【郭4】B
【大堀切】C
郭4と郭2との間の大堀切。
【竪堀】D 【大堀切】E
この場所に石切り場も有ります。
【段上郭】F
井戸の沢方面からの虎口がある。
【郭2下の城道】
この城道は写真手前で侵入を阻害するために端を落し込んでいる。
【郭2】G
ここは登城路から外れるため倉などがあったと考えられる。
【本郭北西土塁】H 【本郭北西土塁】H
二ノ丸と本丸の間は堀切も兼ねている城道でクランク状になっている。
【本郭北西土塁】H
【本郭北西土塁】H 【本郭南虎口】I
小倉城の中心、本郭の南側出入口が、南虎口です。虎口の手前を含め、本郭内部に入るには4回曲がって進まなければならず、攻め手は、それだけ側面攻撃を受ける機会が増え、守備側の入念な備えが伺えます。発掘調査では、門の袖部分に石垣が確認され堅牢さと共に一定の格式が表現された構えとなっていたと思われる。。
【本郭南虎口】I
【郭1】
二回目に訪れたときは木々が伐採され遺構をはっきりと確認できるようになっていました。
【郭1】
郭1は上下二段構成になっている。
【小倉城址碑】
一回目に訪れたときは木々が鬱蒼と生い茂っており城址碑がはっきりと見えなかったが、現在は良く見ることが出来ます。
【小倉城跡説明碑】 【郭1上段】 【郭1上段】
【郭1下段から上段へ入るための虎口】
郭1の北虎口から侵入すると屈曲するため速度はそがれ攻撃をここでも受けることになる。
【郭1上段南側の城道】
郭1の北虎口に続く城道。北虎口からの進入路はこの城道のみで郭1から側面攻撃を受ける形状になっている。
【郭1上段南側の城道】
【郭1東虎口】J 【東虎口の石垣】 【郭1と郭3との間の堀切】K
【郭1と郭3との間の堀切】K 【郭3】 【郭3の石垣】L
使用されている石は平石の緑泥片岩。その平べったい石を幾重にも積み重ねている。
【郭3の石垣】L 【郭3の石垣】L 【郭3の石垣】L
【郭3の石垣】L 【郭3の石垣】L 【郭3の石垣】L
【郭3の石垣】L 【北側平場の枡形虎口】M
90度に折れ曲がっている虎口。
【枡形虎口】M
【枡形虎口】M 【枡形虎口下登城道】
登城道も曲がりくねっており、容易には虎口には辿りつけられないようになっている。
【枡形虎口下登城道】
【二重堀切】N
写真では分かり辛いので赤いラインを入れている。
【本郭北虎口】O
ここも南虎口と同様に門があり堅牢さと共に一定の格式が表現された構えとなっていたと思われる。
【本郭北虎口】O
【郭1上段南側の城道】
右が郭1で左は土塁



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