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城名 石垣山一夜城(別名:太閤一夜城)
住所 〒250-0021
神奈川県小田原市早川字梅ヶ窪地内
入場時間
入場料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 梯郭式山城
天守構造 不明
築城主 豊臣秀吉
築城年 天正18年(1590)
主な改修者 なし
主な城主 豊臣氏
位置 北緯35度14分7.56秒
東経139度7分39.97秒
地図 天守台跡
本丸枡形虎口
櫓跡
井戸曲輪跡
二ノ丸跡
【歴史】
石垣山は、もと笠懸山、松山とも呼ばれれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏の本拠小田原城を水陸15万の大軍を率いて包囲した時、その本営として総石垣の城を築いてから石垣山と呼ばれるようになりました。この城を秀吉が一夜にして築いたように見せかけたという伝承から、石垣山一夜城とか太閤一夜城などとも言われています。

秀吉は、この城に滞在した100日余の間に天皇の勅使を迎えたり、千利休や能役者、猿楽師等を呼び寄せました。また自ら淀君などの側室も呼び、参陣の諸大名にもこれにならうよう勧めたと言われています。この城は単に小田原城攻めの本営であるというだけでなく、太閤秀吉の威信を示すと共に、長期戦に備えた本格的な城構えであったと言えます。

この城は関東で最初に作られた石垣の城です。石積みは秀吉が連れてきた近江の穴太衆による野面積と言われるもので、小田原藩の管理下に置かれていた江戸時代にも、度重なる大地震に耐え、今日まで当時の面影を大変よく残している貴重な城跡です。


【感想】
石垣山の本丸から見下ろした小田原市内や相模湾一帯をみていると以下に小田原城の城域が広かったがわかる。そして当時もここから同じように小田原城内を武将達が見下ろしていたかと思うと感慨深いものがあります。
また井戸曲輪は想像以上に立派で底から見上げる石垣には感動しました。
登城日 2010年11月6日(土)
LINK 小田原市HP-石垣山一夜城
石垣山一夜城-Wikipedia
城主家紋 【五七の桐】
豊臣家家紋

                      

探訪
【早川石丁場群の刻印石】
農道工事の際に出てきたものを移設展示。
【城道(東口)】 【南曲輪東側斜面石垣】
【南曲輪下の石垣(角石)】 【南曲輪南斜面石垣】
穴太野面積の石垣が良好に残っている。
【南曲輪下の石垣(角石)】
【南曲輪へ続く登城路】
崩れた石が転がっているので注意が必要。
【南曲輪、門の基台跡】 【南曲輪跡】
【西曲輪、門の基台跡】 【西曲輪入口部】 【西曲輪跡】
【天守台の東側石垣】
西曲輪内より撮影。
【天守台西側石垣】
石垣は崩れれているが使用されている石の大きさが良くわかる。
【本丸北西側石垣】
石垣は崩れ散乱している。
【天守台跡】 【天守台跡】 【本丸の社】
【本丸物見台】 【物見台からの眺望】
眼下に小田原城天守閣が見える。
【物見台の筒から見た小田原城】
筒が固定され、覗くと小田原城の場所が良くわかるようになっている。
【本丸跡】 【本丸の門跡】
両脇に門の基台跡がある。
【本丸枡形虎口】
【二ノ丸跡】 【本丸北側石垣】 【二ノ丸跡】
【二ノ丸櫓跡】 【城道(北口へ続く道)】
井戸曲輪へ下りる途中の左側にある。
【井戸曲輪跡】
石垣山一夜城二ノ丸(厩曲輪)北東部にあり、もともと沢のようになっていた地形を利用し、北と東側を石垣の壁で囲むようにして造られている場所です。井戸は二ノ丸から25mも下がった所にあり、今でも湧き出る水を見ることが出来ます。
この井戸は「淀君化粧井戸・または「さざゑの井戸」とも呼ばれています。
【井戸曲輪】 【井戸曲輪】 【井戸曲輪の石垣】
【井戸曲輪】 【井戸曲輪・湧水部分】 【二ノ丸北端】
【展望台】
二ノ丸北端にある。
【小田原城天守閣が分かるようになっている】
ただの筒なので望遠にはなりません。
【筒から見た小田原城天守閣】
ちょっとずれて設置されてます。
【本丸石垣】 【石垣山中腹より見た石垣山一夜城】 【堀秀政公墓所】
小田原の役、在陣中疫病によって病没したため石垣山の麓付近にある海蔵寺に墓所がある。
【堀秀政公墓所】 【堀秀政公墓所より見た小田原城天守閣】



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