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城名 大多喜城(別名:大滝城、小多喜城)
住所 〒298-0216
千葉県夷隅郡大多喜町481
入場時間 午前9時〜午後4時30分(入館は午後4時まで)
休館日
月曜日(休日の場合、翌日が休館)
年始年末、その他臨時休館
入場料 一般:200円、高校・大学生100円
指定文化財 千葉県史跡
城郭構造 連郭式平山城
天守構造 不明
築城主 真里谷信清
築城年 大永2年(1521)
主な改修者 本多忠勝、阿部正次
主な城主 真里谷(武田)氏、正木(里見)氏、本多氏、阿部正次、青山正俊、阿部正令、阿部正春、稲富重富、松平氏
位置 北緯36度17分9.18秒
東経140度14分21.63秒
地図 天守・本丸跡
薬医門
大井戸
大手門跡
四ッ門跡
【沿革】
大多喜の中世の地名は、資料の中に小多喜と見られますので、大多喜城も、その頃は小多喜城ないし小多喜の城と呼ばれていたと思われます。
16世紀の前半代に武田氏が入城したと言われていますが、天文期(1532〜1555)に安房の里見氏の重臣であった正木氏が入り、以後4代にわたり、上総正木宗家の居城として発展します。
その後、天正18年(1590)に北条氏の小田原城が豊臣秀吉に攻め落とされると、徳川家康は江戸城に入り、小多喜城を家臣の本多忠勝に与えて安房の里見氏の勢力をおさえようとしました。
当時の城のようすについて、慶長14年(1609)にここを訪れたスペイン人野ドン・ロドリゴは、「城は高台にあって濠に囲まれ、城門は大きく全て鉄でできており、厳重に警戒されている。また、城の内部は金や銀の配色で美しく、立派な武器庫もあった。」(日本見聞録)と、驚いています。
城主は本多氏の3代のあと、阿部・青山・稲垣氏へと引継がれ、元禄16年(1703)松平(大河内)正久となりました。松平氏は9代続き廃藩置県を迎えます。
千葉県教育委員会は、この歴史ある大多喜城本丸跡に、昔を偲んで城郭様式の千葉県立中央博物館を建設し、昭和50年9月に開館しました。
平成18年4月からは千葉県立中央博物館の大多喜城分館となっています。


【感想】
大多喜駅から続くメキシコ通り沿いを歩いて行くと天然の濠、御禁止川が道を挟んだ反対側は断崖絶壁となっており、その上に二ノ丸・本丸があるということがわかり堅固な城だったことを物語っています。
本来であれば大手門から大多喜高校の二ノ丸を通り、本丸への道があるはずですが高校の敷地内なのでその道がなく、山を迂回して本丸へ。
そのため本来は大きな空堀があった場所を道が通ってしまい昔の形が残っていないのが非常に残念ではあります。
 
登城日 2010年12月19日(日)
LINK 千葉県立中央博物館大喜多城分館HP
大多喜城-Wikipedia
城主家紋 【三つ引両】
(桓武平氏三浦氏流)
正木家家紋
【立ち葵】
(藤原北家兼通流)
本多家家紋

                      

探訪
【観光用大手門】 【薬医門】
この門は大多喜城内建造物唯一の遺構である。天保13年の火災後に建築された二ノ丸御殿の門である。
【薬医門】
【大井戸】
大多喜城内にあった二十数個の井戸の一つで忠勝時代の遺構。周囲約17m、深さ20mで、日本で最も大きな井戸の一つに挙げられる。
当時は、8個の滑車と16個のつるべ桶があり、水が尽きることなくわき出ることから「底知れずの井戸」と呼ばれてました。
【大井戸】 【大井戸と天守】
【御禁止川(おとめがわ)】
大多喜城の本丸下を流れるこの川は、城主が江戸時代に魚を獲ることを禁止したので御禁止川と呼ばれました。
【御禁止川】 【二ノ丸】
御禁止川から道を挟んだ反対側には断崖の上に二ノ丸(大多喜高校)があります。
【大多喜城址碑】 【大多喜水道】
城下町大喜多は、昔から良い飲み水に恵まれず、人々の苦労は絶えませんでした。最後の城主である松平正資の頃ようやく水道の工事が具体化し、明治2年(1869)11月に工事をはじめ、翌明治3年5月に完成しました。
この水道によって、城下200戸が潤い、20ヘクタールの水田の感慨が行われました。
【堀跡】
大きな空堀があったが道路を造る際に横切っているようで、堀の面影はごく一部にしか残っていない。
【二の丸公園下段】 【二の丸公園上段】 【二ノ丸公園上段の鐘楼】
【本丸跡と天守】
本丸には天守(千葉県立中央博物館大喜多分室)が建ちます。
【天守】 【天守】
【土塁跡】
本丸の周囲には若干ではあるが土塁が残っている。
【二ノ丸跡】
現在は大多喜高校になっています。
【二ノ丸御殿跡】
御殿跡には大多喜高校の校舎が建っています。
【本丸の塀】 【天守】 【大多喜城模型】
【三ノ丸跡】
三ノ丸跡から見た天守。忠勝時代も三ノ丸には畑などがあったようです。
【天守拡大】
左の写真の拡大。
【大手門跡】
僅かに土塁も残る。
【四ッ門跡】
現在は四ッ門公園になっている。四ッ門とは大多喜城から数えて四番目の門のこと。
観光〜城下町〜
【渡辺家住宅】(国指定重要文化財)
この建物は嘉永2年に建築された江戸時代後期の町屋である。
【伊勢幸酒店】(国登録文化財)
大手門の材料を使用したと伝えられ屋根瓦に城主の紋所があった。
【豊乃鶴酒造】(国登録文化財)
明治7年築、銘酒「大多喜城」の醸造元。
【大屋旅館】(国登録文化財)
江戸時代から旅籠として創業。
【忠勝公園】
【本多忠勝墓所】
忠勝公(中央)、忠勝夫人(右)、次男忠朝(左)。
【本多忠勝公像】
行徳橋の一角に建つ。
【本多忠勝公像後ろ姿】 【行徳橋レリーフ】
ジャンル:そば
店名:食事処 与作
住所:千葉県夷隅郡大多喜町大多喜488(大多喜城駐車場内)
TEL:0470-82-5439
URL:http://yosaku.sakura.ne.jp/

写真は、鹿南蛮そば \900-。
大多喜城の駐車場脇にあるお食事処、メニューの中心はお蕎麦にうどん。 その中でも目が引くのは”自然薯のとろろそば”と、今回頂いた”鹿南蛮そば”。
鹿なんってめったに食べれないので食べてみました。
鹿肉は思ったほど臭みもなく美味しくいただけました。



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