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※赤線は登城経路ですが大体の位置を示すものです。
城名 花園城
住所 〒369-1205
埼玉県大里郡寄居町末野
入場時間
入場料 無料
指定文化財 県指定文化財
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 藤田政行
築城年
主な改修者 藤田氏
主な城主 藤田氏、北条氏邦
位置 北緯36度7分19秒
東経139度10分21秒
地図 本郭
二の郭
門跡(虎口)
三の郭
竪堀(登城道)
【ガイド】
山内上杉氏の重臣藤田氏の居城と伝えられている。
花園城は平安時代末期に武蔵七党の猪俣党から出た藤田五郎政行によって築かれたとされているが、いつの時代に花園城が築かれたのかはわかっていない。

花園城は標高200mの山頂に、その地形を上手く利用して三つの郭が構成されている。西から一の郭・二の郭・三の郭と呼ぶと、一の郭は西側と東側に深い堀があり、土塁の崩れやすい南側三ヶ所には一段の石組がみられる。二の郭はほぼ、方形を呈しており、一の郭と同様南側に石垣上の土留めが見られる。三の郭は南側がとがった三角形を呈しており、東側に深い空堀が見られる。石垣の石には緑泥片岩が多用されており二重の竪堀を有する城である。特に岩盤を掘り抜いた堀切や複雑に配置された腰郭や階段状の帯郭があります。

花園城の背後には、花園城を見渡せる山があり敵がここに陣を張られると危険であるため、この背後の山に花園御岳城(砦)を築いている。

後北条氏時代は、鉢形城の支城として、秩父谷への街道を抑える機能を果たしていたと思われます。花園城眼下南側には元宿や捨人小路などの地名が残っていることから、往時はここが藤田氏支配の中心地であったと考えられています。


【感想】
登城道が何処なのか、まずそこから始まるお城で、諏訪神社裏より入り竪堀沿いに登っていくのが良いようである。ただ竪堀には枯れ葉がつもり非常に滑りやすく登りにくい。郭も藪に覆われ自分の位置を確かめるのも難しい。本郭だけは若干整備されており石碑もある。
しかし、この登りにくい城ですが登った分の価値がある城で、竪堀や横堀、堀切の見事さは行って見ないと分からないことでしょう。
 
登城日 一回目:2011年1月30日(日)
二回目:2016年2月27日(土)
LINK 寄居町HP〜花園畳〜
城主家紋 【上り藤】
(武蔵七党小野姓猪股党)
藤田家家紋
【三つ銭】
(武蔵七党小野姓猪股党)
藤田家家紋

                      

探訪

※参考文献 改訂歩いて廻る「比企の中世・再発見」
【諏訪神社】
花園城へは、この諏訪神社の裏から登ります。
【竪堀】
諏訪神社より歩を進めると竪堀に当たるので、竪堀に沿って上へ向かうことになります。
竪堀は隣にももう一条あり二重の竪堀となっており、藤田氏の築城技術の特徴と言えます。
【竪堀】
【三の郭下腰郭の石垣】
人の股下くらいの高さがある。
【横堀】
竪堀を過ぎると横堀に当たる。
【横堀から竪堀になるL字】
横堀と竪堀が連続するのも藤田流築城術の特徴である。
【横堀から竪堀になるL字】 【三の郭】
三の郭より下は腰郭になっている。
【竪堀】
【二の郭の石垣】
門跡の石垣になる。
【二の郭虎口・門跡】
両側に石垣がありここに門があったと思われ、この道が大手道になっているのかもしれない。
【門跡石垣】
石は緑泥片岩が用いられている。
【二の郭虎口】 【二の郭】 【二の郭】
【二郭と本郭間の城道】
二郭側の櫓跡横を通り堀切の土橋を渡って本郭に入る。
【堀切】
二の郭と本曲輪間の堀切で岩盤を削って作った切通しの様になっている。
【堀切の土橋】
【二郭から本郭へ続く城道
本郭に続くこの城道は特に狭くなり、本郭に対し側面をさらすことになり本郭からの攻撃を側面で受けることになる。
【堀切】
本郭より見降ろして撮影。
【本郭と土塁】
本郭は二段構成と思っていたが、右側は幅の広い土塁であり、本郭自体は低い側になる。
【本郭・城址碑】
城址碑は立派なものでここにお金をかけるなら登城道を何とかして欲しいと思います。
【本郭】
城址碑から東側を撮影。
【本郭・搦手口】
【本郭】
城址碑から東側を撮影。
【本郭下の堀切】 【竪堀】
【横堀】 【腰郭の石垣】
この辺りより下は段郭になっている。
【腰郭の石垣】
【腰郭の石垣】 【横堀と竪堀の合流個所】
【竪堀】
【鉢巻石垣】 【石垣部分】
観光〜正龍寺〜
【山門】
両側には仁王像がある。
【本堂】
屋根の上に藤田氏と北条氏の家紋がある。
【祠】
この中に北条氏邦と夫人、藤田康邦と夫妻の墓が鉢形城を展望するように建っている。
【北条氏邦と夫人お福御前の墓】 【藤田康邦と夫人の墓】



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