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※赤線は登城経路ですが大体の位置を示すものです。
城名 天神山城(別名:白鳥城、根小屋城)
住所 〒369-1311
埼玉県秩父郡長瀞町岩田
入場時間
入場料 無料
指定文化財
城郭構造 連郭式山城
天守構造 不明
模擬天守2層2階(1970年コンクリート造り)
築城主 藤田重利(康邦)
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
主な城主 藤田康邦、北条氏邦
位置 北緯36度7分2秒
東経139度7分12秒
地図 模擬天守(本郭)
二の郭
三の郭
出郭
三日月堀
【ガイド】
山内上杉氏の重臣藤田氏の居城で、藤田康邦(重利)が北条氏康の4男乙千代(氏邦)を天文19年(1550)頃に娘婿に迎え、天神山城を与えたと伝えられています。一方藤田氏の菩提寺であった正龍寺に残された文書には、12代国行のころで、永禄5年(1562)ころに後北条氏に攻略されたとあります。

永禄3年(1560)頃、氏邦が鉢形城に移ると弟の氏光(用土新左衛門養子)が城主となり、鉢形城の重要な役割を担ったが、天正18年(1590)小田原の役で鉢形落城と共に廃城になった。

荒川に面した丘陵の尾根上に本郭・二の郭・三の郭が築かれ、北東の斜面中腹に出郭が設けられています。


【感想】
観光用に建てられた模擬天守はその目的を失い現在は管理もされずに廃墟になっている。その観光化のおかげで二の郭南西側は観光道路が出来、改変されてしまっておりそこにあったであろう石垣も破壊されている。
その反面北東側は観光地化されずにいたため見事なまでの出郭が残っている。この出郭へ行くには急斜面を下りていかなければいけないが、降りた価値は十分にある幾重もの堀、土塁が見られます。写真では祖の良さが伝えられないので実際に足を運んでもらいたい。

 
登城日 2011年1月30日(日)
LINK 天神山城-Wikipedia
城主家紋 【上り藤】
(武蔵七党小野姓猪股党)
藤田家家紋
【三つ銭】
(武蔵七党小野姓猪股党)
藤田家家紋

                      

探訪

※参考文献 改訂歩いて廻る「比企の中世・再発見」
【白鳥神社】 【登城道】 【本郭-模擬天守】
【模擬天守一階】
床が抜け落ち危険な状態です。
とても中に入ろうとは思いません。
【模擬天守地階】
床下は上からの落下物が多くあります。
【模擬天守右脇】
本郭の後方に二重堀切があるのですが、天守の屋根が崩れる恐れがあるため近づけません。
【落下した瓦】
梅鉢の紋?
【本郭と二の郭の堀切に架かる橋】
往時もここに木橋が架かっていたのでしょう。
【本郭と二の郭間の堀切】
【二の郭から見た模擬天守】 【二の郭の石垣】 【二の郭】
二の郭は昔駐車場にされていたので改変されてしまっています。
【二の郭】 【二の郭土塁】
二の郭の橋は土塁が左右にあり、平虎口になっている。
【三の郭虎口】
二の郭と三の郭の間にも堀切があり深さは3m近くあります。
【三ノ丸北側下の井戸跡】 【井戸跡】 【三の郭】
三の郭では、石を掘り出したそうでいくつもの堀の様な跡が出来ていました。滑石みたいのが出ていたようです。
【三の郭】 【三日月堀】
三の郭の先端部では三日月堀を見ることが出来ます。
【二の郭下の急斜面】
二の郭の北東下には出郭がありますが、この急斜面を降りなければなりません。
【腰郭】 【堀切】 【出郭】
砲形状の郭。
【出郭から見た二の郭方向】 【堀切】 【出郭下の腰郭】
【堀と土塁】
出郭から下には幾重もの堀と土塁があります。
【堀と土塁】
観光
【説明板】 【野上下郷石塔婆】
史跡碑。国指定史跡。
【野上下郷石塔婆】
現存日本一大きな石塔婆。
ジャンル:そば
店名:はやし
住所:埼玉県秩父郡長瀞町長瀞454-1
  長瀞駅から180m
TEL:0494-66-0222
営業時間:10:40〜16:30
定休日:無休


写真は、しゃく菜飯と冷たいそばのセット\1,100-
そばは細めですがしっかりと腰もあり、そばの風味もある美味しいお蕎麦です。しゃく菜飯は素朴で美味しかったです。



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