城名 | 川越城(別名:初雁城、霧隠城) | |||
住所 | 〒350-0053 埼玉県川越市郭町2丁目30番地1 |
|||
入場時間 | 川越城本丸御殿・市立博物館 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで) 休館日 :月曜日、年始年末(12/28〜1/4) |
|||
入場料 | 川越本丸御殿 大人100円、大学生・高校生50円 川越市立博物館 大人200円、大学生・高校生100円 他共通券あり |
|||
指定文化財 | 埼玉県有形文化財(本丸御殿) 埼玉県史跡 |
|||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 太田道真、道灌父子 | |||
築城年 | 長禄元年(1457) | |||
主な改修者 | 松平(長沢)信綱 | |||
主な城主 | 扇谷上杉氏、後北条氏、酒井氏、堀田氏、長沢松平氏、他 | |||
位置 | 北緯35度55分28.25秒 東経139度29分29.41秒 |
|||
100名城 スタンプ |
||||
【沿革】 川越城は、扇谷上杉持朝が長禄元年(1457)に太田道真(資清)・道灌(資長)父子らの家臣に命じて築城させたものです。当時、持朝は山内上杉房顕と連合し、古河公方足利利成氏と北武蔵の覇権をめぐて攻防を繰り返しており、築城は扇谷上杉領の北端の拠点とするためであった。築城当初の縄張りは後の本丸と二ノ丸を合わせた程度の規模と推定されている。 小田原を拠点に武蔵への進出を図る後北条氏は、天文6年(1537)に河越城を攻め落とした。天文15年(1546)、扇谷上杉氏はそれまで対立していた山内上杉氏・古河公方と手を結び、川越城奪還を図り大軍で河越城を包囲し後北条氏との決戦に臨んだ。また今川義元、武田信玄と連携し駿河と武蔵でほぼ同時に後北条氏に対する軍事行動に出ることで圧迫を強めた(第2次河東一乱)。「黄八幡」で有名な北条綱成は半年に及ぶ籠城で抵抗、ついに後攻めの北条氏康による夜襲で連合軍を撃退、扇谷上杉氏は滅亡、山内上杉氏はのちに長尾景虎のもとに逃亡することになった。これが日本三大夜戦の一つ・河越夜戦である。その後、後北条氏は河越城を足がかりとして北武蔵への支配を固めていった。 天正18年(1590)、豊臣秀吉の関東攻略に際し、川越城は前田利家らに攻められて降伏した。同年8月、後北条氏の遺領を得た徳川家康が江戸城に入ると、江戸に近い河越城には重臣酒井重忠を置き、その後も幕府の有力な大名たちが川越領をもつことになった。 寛永16年(1639)、川越城主となった松平信綱は川越城の拡張整備を行う。その結果、本丸・二ノ丸・三ノ丸・追手曲輪・新曲輪などの各曲輪、3つの櫓(幕末の絵図にはもう一つ隅櫓城の建物が描かれている)、13の門からなる、総面積約9万9千坪(約32万6千u)余の規模をもつ巨大な城郭となった。 慶応3年(1867)、大政奉還により武家政治が終焉を迎えると、川越城は早々の解体が始まり、一部は学校や役所等の公共用地となったが、城地の大部分は払い下げられ、宅地化されていった。現在では本丸御殿の一部と、富士見櫓跡・中ノ門堀跡がわずかに往時の姿を留めている。 ※川越の表記について:中世では河越城と表記し、それ以降は川越城となっている。 【感想】 改修が終了した本丸御殿はごく一部残っているだけであるが往時を偲ぶことが出来る。 富士見櫓跡はここから富士山が見えたようである、しかし現在は住宅街の中にあり富士山を望むことが出来ない。丘の上では整地されていたのでいよいよ復元に向けて本格的に動いているようである。 城探訪と川越の町散策を合わせれば1日楽しむことが出来ます。 |
スタンプ 設置場所 |
川越城本丸御殿受付窓口 | ||
登城日 | 一回目:2011年4月3日(日) 二回目:2020年7月19日(日) 三回目:2023年4月2日(日) |
|||
LINK | 小江戸川越観光協会HP | |||
川越市立博物館HP | ||||
川越城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【竹に二羽飛び雀】 (藤原氏勧修寺流) 山内上杉家家紋 |
|||
【三つ鱗】 (伊勢平氏流)) 後北条家家紋 |
||||
【剣片喰】 (加茂氏族) 酒井家家紋 |
【西大手門跡】 現在の川越市役所の角にある。 |
【西大手門跡】 | 【太田道灌公像】 |
【中ノ門堀跡入口の冠木門】 | 【中ノ門堀跡】 平成22年に整備された堀です。堀が食い違いになっている箇所に中ノ門がありました。 |
【八幡曲輪跡】 現在は県立川越高校が建っているがここに馬場があったようです。 |
【二ノ丸跡】 現在市立歴史博物館が建っている場所が二ノ丸になります。 |
【霧吹きの井戸】 川越城七不思議のひとつ、常時は蓋をしてあるが有事の際には蓋をあけると霧が出て城を隠したと言われる。そのため霧隠城という別名がある。 |
【本丸門跡】 |
【初雁武徳殿碑】 | 【本丸御殿正面】 | 【本丸御殿】 |
【本丸御殿】 | 【本丸御殿碑】 | 【本丸御殿・玄関】 |
【本丸御殿・廻り廊下】 | 【本丸御殿・物頭詰所】 | 【本丸御殿・番抜老体詰所】 |
【本丸御殿・坊主番詰前廊下】 | 【本丸御殿・杉戸絵】 | 【本丸御殿・中庭】 |
【家老詰所】 | 【家老詰所】 | 【本丸御殿・広間】 |
【本丸御殿・広間の杉戸絵】 | 【本丸御殿・広間】 | 【本丸御殿・中之口】 |
【川越城縄張図】 | 【三芳野神社】 川越城の鎮守とし江戸時代遺構は徳川幕府直営の社として庇護を受けた。社は川越城内にあったため一般人は年数回ある特別な時にのみ参拝することが出来ました。 そのことを唄った歌が童謡の「通りゃんせ」でここが発祥の地とされたいます。 |
【わらべ歌発祥の所碑】 |
【川越城・土塁】 三芳野神社に残る。 |
【三芳野神社参道】 この参道が童謡「通りゃんせ」の細道かも知れませんね。 |
【富士見櫓跡】 碑が建ってる箇所は本丸堀跡 |
【富士見櫓跡】 富士見櫓は、本丸の南西隅にあり、南と西は本丸の堀跡になる。 |
【富士見櫓跡】 初めて訪れた時に整地され、櫓が復元されるかと思っていましたが、そのままの状態でした。 |
【田曲輪門跡】 富士見櫓の南、堀を挟んで向かい側にあったようです。 若干位置が東に建っているような気がします。 |
【東明寺】 | 【川越夜戦碑】 川越夜戦が繰り広げられた場所が東明寺口であったため東明寺境内に碑が建っている。 |
【東明寺・本堂】 |
【新河岸川】 川越城の外堀としての役割をもっていた。 |
【新河岸川】 | 【川越市内】 旧川越城域では、町のいたるところが鉤形になっている。 |
【城址碑】 | 【本丸大手門跡】 新に復元された箇所、両側には土塁が築かれている。 |
【本丸大手門土塁】 |
【本丸大手門土塁】 | 【虎櫓跡】 新曲輪の櫓で、堀の反対側には、二の丸菱櫓があった。 |
【虎櫓跡碑】 |
【天海大僧正像】 喜多院前に建つ。 |
【喜多院山門】 | 【喜多院・多宝堂】 |
【喜多院・慈恵堂】 | 【喜多院・鐘楼門】 | 【喜多院の桜】 |
【喜多院・慈眼堂】 | 【葵庭園】 | 【堀跡】 喜多院と仙波東照宮の間にある。 |
【仙波東照宮・本殿】 | 【堀】 仙波東照宮本殿と山門の間にある。 |
【仙波東照宮山門】 |
ジャンル:うどん 店名:うどん処 春夏秋冬 住所:埼玉県川越市幸町10-5 (重要文化財「大沢家」隣) TEL:049-225-6701 定休日などはこちらから↓ URL:http://www.kawagoe.com/kinbue/unton.html 写真は、期間限定(3月〜4月)のたんたんうんとん。 新鮮野菜たっぷりで肉だんごがとても美味しく、コク・辛さ・ほの酸っぱさのコラボレーションが何とも言えませんでした。 他にも美味しそうなうんとんメニューがあります。 |
||
ジャンル:うなぎ 店名:小川菊 住所:埼玉県川越市仲町3-22 TEL:049-222-0034 営業時間:11:00〜14:00、16:30〜19:30 ※整理券は10:30、16:00くらいから 定休日:木 URL:http://www.ogakiku.com/ 写真は、鰻上重 ¥4,000- 身はふわふわで柔らかく、タレは甘すぎず丁度良い。ご飯の量は無料で少なくも大盛りにもしてくれます。 うざくも¥900-も、美味しかったです。 |