powered by 地図Z
※赤線は大体の位置を示しています。
城名 逆井城(別名:飯沼城)
住所 〒306-0501
茨城県坂東市逆井
入場時間
入場料
指定文化財 茨城県指定史跡
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 逆井常宗
築城年

宝徳2年頃

主な改修者 後北条氏
主な城主 逆井氏、後北条氏
位置 北緯36度8分35秒
東経139度51分11秒
地図 模擬二層櫓
井楼櫓
本丸
櫓門・木橋・横矢掛り
比高二重土塁
【沿革】
逆井城は、宝徳2年(1450)頃、小山義政の子常宗が城を築き「逆井尾張守」を名乗ったのが最初で、その後後北条氏が入り大改築を行った。
逆井城は、飯沼に臨む標高20mの台地先端にあり、城の北側は飯沼が洗い、西側は入江の蓮沼に接していました。飯沼は江戸時代の新田開発により湖水はなくなりましたが、およそ幅1km、南北30kmにわたり、その名残を残しています。今から410年前の戦国時代に、この飯沼が小田原の後北条氏と佐竹氏・結城氏・多賀谷氏らの領国の境目でした。
進攻を続ける後北条氏は飯沼に築城をはじめ、天正5年(1557)10月、北条氏繁(玉縄城主)は、藤沢より城の建物をつくるため大鋸引の職人をよんでいます。城主となった氏繁は、盛んに佐竹・下妻方面の動勢を報告していますが、よく天正6年(1558)にこの飯沼城中で没し、その後氏舜が城代となりました。
天正18年、豊臣秀吉は小田原城に後北条氏を滅し、この飯沼城も廃城となりました。

逆井城は、戦国末期の築城技法が駆使された広大堅固な城郭で、逆井氏の構えた逆井古城の遺構と、後北条氏が大改築を施した飯沼城(逆井城)の遺構が重なる珍しい城となっている。

【感想】
模擬の櫓などが目立つが本丸、二ノ丸、三ノ丸間の空堀は横矢掛りや比高二重土塁といった工夫が施されており後北条氏が治めた城だと窺うことが出来る。
復原された建物も、中世城郭の雰囲気を感じるには十分である。

登城日 2011年7月16日(土)
LINK 坂東市ホームページ
逆井城-Wikipedia
城主家紋 【三つ鱗】
(伊勢平氏流))
後北条家家紋

                      

探訪

※城内案内板(加筆あり)
【二ノ丸堀越しにみる逆井城】 【井楼櫓】 【模擬二層櫓】
【模擬二層櫓】 【模擬二層櫓】 【模擬城門と模擬木橋】
【船入跡】
二層櫓下に溝があるがこれは船入跡で、その反対側の畝部分は荷下ろしなどをするための足場になっていたと考えられる。
【関宿城の移築城門】
この門は薬医門形式となっている。
【主殿】
大台城遺跡発掘の折出土した主殿遺構を参考に復元したものです。
【主殿の枯山水庭園】 【主殿・右側の主室】 【主殿・左側の控室】
【観音堂】
大安寺(岩井市)にあったものを移築・復元したものです。
【模擬二層櫓と門】
城内より。
【模擬二層櫓】
【塀越しの堀】 【井楼櫓】 【土塁から見た井楼櫓】
【二ノ丸虎口】 【横矢掛りの堀】
この部分が古逆井城の跡になる。
【鐘堀池】
【本丸】 【横矢掛りの堀】
本丸と二ノ丸の間の堀。
【櫓門と木橋】
二ノ丸から本丸へ入る虎口。
【逆井城址碑】 【二ノ丸】 【横矢掛りの堀】
二ノ丸と三の丸間の堀
【三ノ丸側の土塁】 【横矢掛りの堀】
二ノ丸と三の丸間の堀、両脇の土塁は比高二重土塁となっている。
【横矢掛り部分の土塁】
【飯沼跡】
前方に広がる水田が飯沼跡。
【三ノ丸の井楼櫓】 【比高二重土塁】



Back



inserted by FC2 system