powered by 地図Z ※赤線は登城経路ですが大体の位置を示すものです。 |
城名 | 高田城(別名:鮫ヶ城、関城、高陽城) | ||
住所 | 〒943-0835 新潟県上越市本城町6-1 |
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入場時間 | 高田城三重櫓 午前9時〜午後5時 休館日:月曜日(休日の時は翌日)、休日の翌日 12月29日〜1月3日 |
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入場料 | 一般:200円、小中高生:100円 | |||
指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 輪郭式平城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 松平忠輝 | |||
築城年 | 慶長19年(1614) | |||
主な改修者 | 松平光長 | |||
主な城主 | 松平氏、稲葉氏、榊原氏 | |||
位置 | 北緯37度6分35.64秒 東経138度15分21.27秒 |
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地図 | 1 | 三重櫓 | ||
2 | 瓢箪曲輪跡 | |||
3 | 三の丸跡 | |||
4 | 大手橋 | |||
5 | 本丸跡 | |||
【歴史】 松平忠輝は入封3年後の慶長18年(1613)に新城の計画を建て、翌慶長19年(1614)国役普請として築城に着手しました。普請には13の大名が任命され、総裁には忠輝の舅伊達政宗が就任しました。ほかには上杉景勝、前田利常、蒲生氏郷、最上家親等の大藩が任命されました。 築城された場所は、高田平野の中央よりやや西に寄った地点で、当時は菩提ヶ原と呼ばれていました。地形的に見ると、関川の自然堤防を巧みに利用しています。以前に平安時代の陶器なども出土していて、古くから人々が生活していた所だと分かります。自然堤防の周りには河川が蛇行し、高田城の場合も蛇行を利用して外堀としました。現在の関川は築城の際に流路を変えたことによって造られたものです。 高田城の普請で特筆すべきことは、竣工までの期間の短さです。諸説はありますが、慶長19年3月15日に着手し、7月上旬には一応の完成を見ています。外堀を含めると60haを優に超える城郭が、約4ヶ月で出来上がった背景には、大阪の陣を控えて、加賀の前田氏、出羽の上杉氏など豊臣の重臣を牽制し、江戸の背後を固めたものと言われています。 【感想】 公園化された城址に遺構はほとんど残っておらず、曲輪の形状もだいぶ改変されてしまっています。その中でも二ノ丸の土塁は比較的残っていて関川の自然堤防だったのかなと推察が出来ます。 復原された三重櫓は公園のシンボルともなりいい感じではありました。 |
登城日 | 2011年11月5日(土) | ||
LINK | 上越市HP-高田公園 | |||
高田城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【徳川葵】 松平氏家紋 |
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【源氏車】 (清和源氏足利氏流仁木氏族) 榊原氏家紋 |
※案内板を逆さにして古図と対比しています。 |
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【二本公孫樹】 村上の銀杏と言って高田藩当時の村上将監家の門前にあったといわれます。 |
【大手橋】 | 【西堀】 |
【西堀】 | 【三ノ丸跡・陽戦曲輪跡付近】 | 【瓢箪曲輪跡】 |
【西堀】 西堀越しに見る瓢箪曲輪 |
【二ノ丸土塁】 | 【三重櫓】 |
【三重櫓】 | 【極楽橋】 | 【極楽橋】 |
【本丸跡】 | 【本丸跡】 | 【本丸土塁】 |
【三重櫓】 | 【本丸跡】 | 【本丸土塁】 古図によると三重櫓とこの土塁は繋がっていた。 |
【三重櫓】 | 【三重櫓】 この通路は昔はなかった。 |
【西堀橋】 西堀のこの地点には橋は架かっていなかった。 |
ジャンル:とんかつ 店名:とんかつ大矢 住所:新潟県上越市大町4丁目3−10 TEL:025-524-4793 営業時間:11:00〜20:00 定休日:水曜、第二火曜 写真左が一番人気の上カツライス(1,160円)、右は盛り合わせセット(1,580円)です。 盛り合わせセットは大きな海老フライとヒレカツが2つついたものです。 食べログで調べて2日連続で行ってしまいました。店内はいつも満席近く、テイクアウトもできるため夕食時にはお客さんが樋切りなしでいかに人気があるかがわかります。 大満足のお店でした。 |