powered by 地図Z ※赤線は大体の位置を示しています。 | 城名 | 嶋崎城 | ||
住所 | 〒311-2434 茨城県潮来市島津 |
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入場時間 | ー | |||
入場料 | ー | |||
指定文化財 | なし | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 嶋崎氏 | |||
築城年 |
室町中期 |
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主な改修者 | ー | |||
主な城主 | 嶋崎氏 | |||
位置 | 北緯35度57分41.09秒 東経140度32分6.62秒 |
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地図 | 1 | 西二曲輪 | ||
2 | 水手曲輪 | |||
3 | 馬出曲輪 | |||
4 | 一曲輪 | |||
5 | 東二曲輪 | |||
【沿革】 嶋崎城は鎌倉時代初期常陸大掾氏の一族行方宗幹の第ニ子高幹が嶋崎氏を名のり、以来四百年間歴代の居城として、その武威を誇った。1591年(天正19年)佐竹義宣により17代城主嶋崎義幹(安定)が滅ぼされ嶋崎城は廃城となった。 城は室町中期の築城とみられ、鹿行地方を代表する城郭である。 台地先端に一の曲輪、二と三の曲輪が連郭し、外構を設けている。一と二との曲輪間に馬出しがあり二の曲輪の外周空掘は斜面に立ち上がり、複雑に屈曲している。 外構(そとがまえ)は古宿と呼び空掘もある、大手口は西側に表門、搦手口は東北に金井柵、一,二の曲輪間の麓部を根小屋という。表門周辺には古屋、西出城付近を宿、南にかけてを芝宿といい、集落の発達過程を示している。 これまでの発掘調査によると、火災の跡・庭園遺構・石塔による暗渠石積・空掘底・乱杭・水溜の粘土遺構・井楼矢倉か隅櫓が検出され、水の手曲輪が井戸と共に現存する。 このように嶋崎城は中世から近世へつなぐ貴重な史跡である。 【感想】 館を囲むように曲輪を配し、地裁ながらにも堀は折を利用し、曲輪ごとに堀切で分断され、一曲輪前には初期の枡形も見られ挟撃できる構造など技巧的な城だったと実感できた。 |
登城日 | 2012年3月3日(土) | ||
LINK | ― | |||
城主家紋 | 【立 波】 (桓武平氏大掾氏族) 嶋崎氏家紋 |
【西二曲輪脇の横掘り】 | 【深井戸跡】 この井戸の奥が水手曲輪になる。 |
【一曲輪と水手曲輪間の空堀】 左側が水手曲輪、右側が一曲輪 |
【一曲輪と水手曲輪間の空堀】 馬出曲輪・一曲輪へ続く坂道から撮影 |
【馬出曲輪】 | 【馬出曲輪の土塁】 |
【一曲輪前の枡形】 一曲輪前には枡形があり、攻撃してくる敵を挟撃できるようにこの馬出曲輪が背後を突くような構造になっている。 |
【一曲輪の虎口】 一曲輪側より撮影 |
【一曲輪】 現在は御礼神社が建っている。 |
【一曲輪の土塁】 | 【馬出曲輪と東二曲輪間の堀切】 左側が東二曲輪、右が馬出曲輪。 |
【馬出曲輪と東二曲輪間の堀切】 |
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【馬出曲輪と東二曲輪間の堀切の突き当たり】 | 【東二曲輪に沿った帯曲輪】 | ― |