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※赤線は大体の位置を示しています。
城名 長山城(別名:永山城)
住所 〒311-2437
茨城県潮来市永山
入場時間
入場料
指定文化財 なし
城郭構造 連格式平山城
天守構造 なし
築城主 小高(長山)知幹
築城年

鎌倉時代中期

主な改修者
主な城主 長山氏
位置 北緯35度58分26.82秒
東経140度30分49.30秒
地図 本丸
二の丸
三の丸
空堀
城址碑・説明板
【沿革】
長山城は、常陸平氏大掾嫡流行方氏の小高幹平の次子知幹の築城に始まる。それは、鎌倉時代中期で、長山氏の祖となったものである。依頼二百数十年間続いた。
その間、七代宗幹の時、歴史上有名な上杉禅秀の乱(応永23年(1416))では、本宗家大掾満幹に従って戦功をたて、しだいに勢力を増した。
大永2年(1522)十代幹綱の時、同族の嶋崎安国に攻められ落城したが、その子政幹は佐竹義篤のもとに逃れ、その保護を受けた。この時、嶋崎氏が長山領との境の川を夜渡り、長山城を攻めたことから、この川を「夜越川」と呼ぶようになった。
城郭の縄張は、主各部を先端に置く連格式の平山城で、当時三方は湿地帯んび囲まれ天然の要害地となっていた。現在も本丸跡、二の丸跡、土塁跡、濠跡、升形跡等の遺構が見事に残されている。三の丸跡は、現在の緑地公園となっている。
城の周辺には、城山、城山入、城山前、後堀城山入、根古屋、上根古屋、下根古屋、下根古屋沖、門前、寺台、坊田、坊田台、笠坊、染屋、染屋台、大門、口渡、弓内、浜弓場等の関係地名を残している。


【感想】
登場路は北東側の空堀の底道になるが入口は藪になっており、知っている人でなければ入れないかもしれない。訪れたのが春先であったが藪は多い。
空堀は見事だが一直線をなしており特に技巧的ではなかった。
坂道虎口などがそのまま残っていた。

登城日 2012年3月3日(土)
LINK 
城主家紋

                      

探訪
【三の丸と二の丸間の道路】 【三の丸跡】
現在はかすみの郷公園となっている。
【城址碑】
二の丸跡の一角に建つ。
【説明板】
城址碑の傍に建つ。
【突き出た曲輪】
ここには多分見張り台みたいなものが置かれていたであろう。
【空堀】
【空堀から見た二の丸の斜面】
北東側から空堀に入ると右手が二の丸、左手が本丸になる。
【空堀】
本丸、二の丸の間。
【二の丸より見下ろした空堀】
【二の丸より見た本丸】 【本丸より見た空堀】
本丸の坂口虎口を見ることができる。
【二の丸】
【二の丸の土塁】 【二の丸虎口】 【二の丸虎口】
【本丸の坂口虎口】 【本丸】 【本丸の土塁】
【本丸の土塁】 【本丸から根古屋】 【本丸虎口】



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