powered by 地図Z
※赤線は登城経路ですが大体の位置を示すものです。
城名 新府城
住所 〒407-0262
山梨県韮崎市中田町中條上野
入場時間
入場料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 連郭式平山城
天守構造 なし
築城主 武田勝頼
築城年 天正9年(1581)
主な改修者 徳川家康
主な城主 武田勝頼、徳川氏
位置 北緯35度44分7.79秒
東経138度25分29.83秒
地図 本丸
二ノ丸
南大手門跡
三日月堀
東出構
【歴史】
新府城は武田勝頼によって天正9年(1581)2月に築城が着手され、完成したのは同年12月であった。それまで甲府躑躅崎の館城にあった勝頼は四囲の情勢から考えてこの天険を利用する以外に方策がなかったのである。しかし時すでに遅く天正10年3月3日織田軍の進行を前に自ら城を焼いて東方、郡内領岩殿城を指して落ちていった武田滅亡の歴史を伝える悲劇の城跡である。
本城は南北に600m、東西に550m、外堀の水準と本丸の標高差80m。型式は平山城で、近世城郭のような石垣は用いず、高さ約2.5mの土塁を巡らしている。
最高所は本丸で、東西90m、南北120m、本丸の西に蔀の構を隔てて二ノ丸があり馬出に続く。本丸の東に稲荷曲輪、二ノ丸を北方に下れば横矢掛りの防塁があり、その外側に堀を巡らしている。堀は北西から北、北東へと巡り、北方の高地からの敵襲に備えて十字砲火を浴びせるための堅固な2ヵ所の出構が築かれている。三ノ丸の南方には大手が開け望楼があり、三日月形の堀とその外側に馬出の土塁が設けてある。本丸と東西三ノ丸、三ノ丸と大手等の間には、帯曲輪、腰曲輪がある。搦手にも望楼がある。蔀の構、出構は新府城の特色で防禦のために工夫されたもので、特に出構は鉄砲のような新鋭兵器をもって敵の攻撃に対抗するために工夫された構えといわれる。


【感想】
案内板には完成したとしが書かれているが実際には未完である。
もしこの城が完成していたとしたら武田家は織田家にどこまで対抗できただろうか?
完成していたとしても優秀な将兵は長篠の合戦で亡くなり、時代の流れには逆らえなかっただろう。そんなことを考えさせる城跡であった。本丸の武田十四将の碑と武田勝頼公霊社は感慨深いものがある。
しかし、搦手側が農地になっているのかロープが張られており先に行くことができなかったのが残念であった。

 
登城日 2012年10月27日(土)
LINK  韮崎市公式HP-新府城-
新府城-Wikipedia
城主家紋 【割菱】
(清和源氏義光流)
武田氏家紋

                      

探訪
【首洗池】
首洗池となっているが立派な堀跡である。
【首洗池】
ここより下方も堀跡のような構造をしている。
【登城道】
藤武稲荷神社の参道。ここより左方向に下ると登りやすい登城道もあります。
【登城道】
このまま上がれば本丸へ。
【女坂】
急峻な階段ではなく緩やかな坂が併設されている。
稲荷坂というのが本当の名らしい。
【稲荷曲輪】
【藤武稲荷神社】 【藤武稲荷神社の能舞台】 【本丸南側】
土塁に囲まれていることがわかる。
【土塁上】 【蔀(シトミ)の構え】
本丸と本丸馬出しの間にある。蔀は城内を見透かさせないように工夫したもので、植込・蔀土居・蔀塀の構えである。
ここからでは遮るものがないように見えるのだが・・・
現状は馬出からは本丸全体が高くなっているので見えないだけです。
【蔀(シトミ)の構え】
二ノ丸、馬出側から見るとこれが目隠し状態になっている。
【家臣の慰霊碑】
右から、馬場信房、山県昌景、高坂昌澄、真田信綱、真田昌輝、小山田昌輝、五味貞氏の7名
【武田勝頼公霊社】 【家臣の慰霊碑】
左から武田信実、原昌胤、内藤昌豊、高坂助宣、土屋昌次、甘利信康、横田康景の7名
【武田勝頼公霊社】 【甲斐国主武田氏四百年追悼の碑】 【本丸北側土塁上から見た眺望】
【本丸】
広さは東西90m、南北120mと広大である。
【馬出】
馬出の中に道が出来てしまっているため形状はよくわからない。
【馬出】
【二ノ丸】 【二ノ丸虎口】 【馬出へ続く虎口】
ここから上の写真の馬出部分へ降りられる。
【二ノ丸西側より見た眺望】
この下は七里岩と呼ばれる断崖になっている。これにより新府城の西側は断崖絶壁となり難攻不落な地形であることがわかる。
【西三ノ丸】
内部はこのように草が生い茂っている。
【西三ノ丸の土塁】
周囲はこの様な土塁で囲まれている。
【西三ノ丸】 【東三ノ丸】
この上の段が東三ノ丸になる。
【東三ノ丸】
いまは臭が生い茂てはいるが周囲は土塁に囲まれている。
【南大手門跡】
しかしこの場所には南大手門はありません。ここより坂上に跡があります。
【南大手門跡】
この道とこの表示に迷わされますが、南大手門は写真の矢印の箇所に入口があります。
【南大手門跡】
ここより虎口が2つ設けられ丸馬出へと続く。
【大手望楼台跡】
虎口に挟まれたこの場所に望楼台ががあり、南方甲府盆地富士河谷一帯を監視した場所です。
【丸馬出】 【馬出より見た三日月堀】
【馬出虎口】
こちらは左側になりここより下へ行くことができる。
【三日月堀】
これぞ甲州流築城法ですね。
馬出との高低差は5m近くはあったと思われる。
【城北部の防禦・出構】
城の防禦上最も弱い北正面に築かれた出構は、堀の中に突き出した鉄砲陣地。東西に約100m隔てて並行に2本が築かれている。
【東出構】 【堀跡】 【西出構】



Back



inserted by FC2 system