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※赤線は登城経路ですが大体の位置を示すものです。
城名 富士見城(別名:大室城)
住所 〒384-0041
長野県小諸市大字諸字東房151-1
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主
築城年
主な改修者 武田氏
主な城主 武田氏
位置 北緯36度20分44秒
東経138度25分4秒
地図 主郭
二の郭
三の郭
堀切
旗塚
【歴史】
富士見城はこれまでの研究で、戦国時代(今から400年から500年くらい前)の終わり頃には造られたものと考えられています。
中世の時代は普段生活する場(根小屋・居館など)と戦闘の際に使用される城・砦とが別々になっており、富士見城も常時人が生活していたものではないと思われます。
天文年間(1532〜1554年)、甲州(山梨県)の武田氏が佐久地方へ進出した頃には、佐久地方統括の拠点である小諸鍋蓋城(小諸城の前身)の支城として整備され、ある程度の石垣が積まれたものと考えられています。
武田氏の滅亡後(天正10年(1582))には、徳川・上杉・北条の諸氏が信州を取り合う中、西に隣接する小県地方に勢力を持つ真田氏と徳川氏が争うところとなり、徳川家康の家臣である柴田康忠が一時滞陣したと言われています。
飯綱山は全体が岩山であり、至る所に石があることから、ほとんどの郭が石積みによって区画されています。この石材は飯綱溶岩(灰色細粒1mm以下の輝石類の散点する普通輝石紫蘇輝石安山岩)と呼ばれ、市内では飯綱山だけに分布しています。
広大な削平地や急斜面に驚く程の石垣が残されていますが、その全てが城のものとは思えず、城域の特定は困難な状況です。しかし、県内でもこれだけの石垣が多用されている城跡は特異な例と言えます。


【感想】
市立小諸高原美術館のすぐ裏手が富士見城跡になります。現在は小諸市飯綱山公園 歴史の広場として整備されており遺構も少ないのかと思っていたら、登場道から脇にそれた道からは至る所に石垣あとが見受けられました。
郭跡には一応看板がありそこがどこなのかがわかりやすくなっています。
そして二郭からは天気がよかったので富士山を見ることができ、城の名に偽りないことが分かりました。
気温が高く暖かければピクニックにちょうど良いでしょう。

 
登城日 2012年12月1日(土)
LINK  小諸市HP−飯綱山公園
城主家紋 【割菱】
(清和源氏義光流)
武田氏家紋

                      

探訪

※案内板より(加筆あり)
【登城道】 【旗塚】 【見学路?】
昔は腰郭になっていた場所と思われる。
【石垣】
二の郭付近の石垣。
【石垣】
二の郭付近の石垣。
【二の郭の石垣】
【三の郭の石塁】 【三の郭の石塁】 【三の郭】
【二の郭】
東側には高さ2m程の土塁があり、西側の南半分には高さ1m程の石塁で防御されていました。
【二の郭からの眺望
ここから富士山を見ることができ、関東の富士見百景の一つに選ばれている。長野県なのに関東とはよくわかりませんが。
【富士山】
写真中央付近に富士山の山頂部が見えています。
【堀切】 【堀切】 【主郭】
【主郭東側の一段高い郭】 【堀切】 【堀切と木橋】
【堀切と木橋】 【四の郭より見た木橋と主郭】 【四の郭】
【五の郭】



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