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※赤線は登城経路ですが大体の位置を示すものです。
城名 真壁城
住所 〒300-4407
茨城県桜川市真壁町古城
入場時間
入場料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 真壁長幹
築城年 承安2年(1172)頃
主な改修者 浅野氏
主な城主 真壁氏、浅野氏
位置 北緯36度16分31秒
東経140度06分29秒
地図 一ノ郭(本丸)跡
二ノ郭(二ノ丸)跡
三ノ郭(中城)跡
外曲輪
外曲輪現存土塁
【歴史】
真壁城は平安時代末から戦国時代にかけて、真壁郡周辺を領有していた真壁氏の居城です。
真壁氏は、戦国の世、上杉、北条、佐竹の三大勢力の狭間を巧妙な戦略で乗り切り、真壁氏の独立を守りました。関ケ原の合戦の後、慶長7年(1602)に佐竹氏家臣として秋田角館へ移り、当地域における真壁氏約400年の歴史を閉じました。

その後慶長11年(1606)浅野長政が隠居料として真壁藩5万石を与えられ、慶長16年(1611)に長政の後を継いで浅野長重が入城した。元和8年(1622)、浅野長重は加増され、真壁は領有し続けるものの常陸笠間城へ移動となり、真壁城は廃城となった。

【概略】
真壁城は、筑波山系から北西に伸びる尾根が平地へと至る微高地上に築かれた平城です。北を田中川、南を山口川に挟まれた東西に長い城域で、南北約400m、東西850m、国史跡の指定面積は約12.5haです。現在遺構が良好に残っているのは県道41号線より東側部分ですが、城はもっと西まで広がっており、大字古城の範囲が本来の真壁城城域です。

真壁氏が一貫してこの地に居城を築いていたかには諸説ありますが、発掘調査の成果では15世紀中ごろ(室町時代後半)に方形の館が築かれ、その後幾度かの改変を経て16世紀後半(戦国時代〜安土桃山時代)に今の形になったことがわかってきています。
真壁城は本丸の周囲を二ノ丸・中丸(三ノ郭)が囲み、東側に外曲輪、西側にVの郭が連結した構造となっています。城の西側には城下町が形成され、現在の町並みへと繋がっています。城内には当時の建物などは残っといませんが、土塁や堀などの痕跡が良好に保存されています。

【感想】
国指定史跡になる前に本丸が整地され体育館が作られ、その際の土砂は二ノ丸へ積み上げられたということが残念でならない。三ノ郭から外曲輪にかけられては土塁が復元され城の規模を実感することが出来るのはよかった。
鹿島神社裏の土塁は良好に残っているのでその高さも実感が出来て良い。

登城日 2013年9月21日(土)
LINK さくらがわタウンネット〜真壁城跡公園〜
真壁城-Wikipedia
城主家紋 【橘】
(桓武平氏大掾氏族)
真壁氏家紋

                      

探訪

※現地ポスト内、資料より転載
【一ノ郭(本丸)跡】
現在は整地され体育館やトレーニングセンターが建っている。
【一ノ郭(本丸)の堀】 【真壁城址碑】
【神道霞流剣術発祥の聖地碑】 【一ノ郭(本丸)北側にある稲荷神社】 【一ノ郭(本丸)東側堀】
【二ノ郭(二ノ丸)跡】
本丸を整地した際の土を二ノ丸に持ってしまっているため本丸よりも高くなってしまっている。
【二ノ郭(二ノ丸)から見た三ノ郭、外曲輪】 【三ノ郭(中城)から見た二ノ郭、一ノ郭】
【三ノ郭(中城)から見た外曲輪の復元土塁】 【三ノ郭(中城)の現存土塁】 【三ノ郭現存土塁と堀跡】
【三ノ郭(中城)より見た二ノ郭、一ノ郭】 【土橋】
三ノ郭と外曲輪を繋ぐ土橋
【外曲輪南側虎口】
外枡形構造になっている。
【外曲輪にある鹿島神社】 【鹿島神社裏手の現存土塁】 【鹿島神社裏手の現存土塁】
【鹿島神社裏手の現存土塁】 【外曲輪の復元土塁】 【外曲輪から見た一ノ郭方面】



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