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※赤線は登城経路ですが大体の位置を示すものです。
城名 小田城
住所 〒300-4223
茨城県つくば市小田
入場時間
入場料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 小田氏
築城年 不明
主な改修者 小田氏
主な城主 小田氏、梶原氏、小場氏
位置 北緯36度9分0秒
東経140度6分38秒
地図 一ノ郭(本丸)跡
二ノ郭(二ノ丸)跡
三ノ郭(中城)跡
外曲輪
外曲輪現存土塁
【歴史】
小田氏は小田城歴代の主として、常陸南部に勢力を持った一族です。同氏の祖、八田知家は源頼朝の信任厚く、最初の常陸守護に任じられました。建久4年(1193)には多気氏を失脚させ、常陸における地位を安定させました。しかしその安定期も短く、北条氏の進出により所領が縮小し、守護職も正和4年(1315)までには完全に失ったようです。
なお、小田氏が小田を本拠とする時期は、初代の八田知家から、あるいは小田を名乗り始める4代時知からなどの諸説があります。

勢力回復を目指す7代治久は、元弘3年(1333)の鎌倉幕府滅亡時に後醍醐天皇の建武新政府に参加、南朝方の重臣である畠山親房を迎えたことにより、小田城は関東地方の南朝方の一大拠点となります。親房の有名な著書『神皇正統記』はこの時に執筆されました。しかし、翌年から北朝軍の攻撃を受け、同4年(1341)に治久は降伏、北朝方に従います。8代孝朝の代には足利氏への忠誠から旧領の大半を回復しますが、鎌倉府に反抗した小山若犬丸を匿ったために討伐を受け、再び忍従を強いられることになります。

戦国時代には、13代治孝が弟顕家に殺害されるという一族の内紛を経て、14代政治は再び勢力を拡大させ江戸・大掾・結城氏などと戦いました。後北条氏の北関東進出が激しくなると、15代氏治は、当初佐竹氏とともに上杉氏を後楯に対抗をしますが、後に後北条氏と結びます(永禄7年(1562))には上杉・佐竹氏により、小田城は落城します。氏治はその都度土浦城へ逃れ奪還を繰り返しますが、同12年(1569)に手這坂の戦いで佐竹・真壁氏に敗れた以後はそれもかないませんでした。天正11年(1583)に氏治は、佐竹義重に一時降伏、同18年(1590)には再び反旗を翻しますが奪還は果たせず、慶長6年(1601)に頼った結城氏の国替えで越前(福井県)に移り、彼の地で没しました。

小田氏が小田城を失った後は佐竹氏客将の梶原政景、佐竹氏一族の大場義成が居城としますが、慶長7年(1602)、佐竹氏の秋田移封により廃城となります。その後は一時幕府領となり陣屋がおかれたこともありました。

【感想】
現在、城址公園整備のため内部の立入が出来なく外部からの見学となった。細部まで見ることが出来ないのは残念ではあったが整備終了後再訪する楽しみが出来たと思います。


登城日 2013年9月21日(土)
LINK 小田城-Wikipedia
城主家紋 【洲 浜】
(藤姓宇都宮氏流)
小田氏家紋

                      

探訪

※現地工事掲示物より
【本丸大手口土塁】 【筑波鉄道筑波線跡】
この路線は小田城を横切るように通っていた。写真は本丸北西側。
【南側土塁】
【本丸跡】
ここが臆病口付近になる。
【臆病口付近より見た涼台跡】 【南側馬出跡】
【涼台跡】 【涼台跡】 【南側堀】



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