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城名 | 佐野城(別名:春日岡城、春日城、姥城) | ||
住所 | 〒327-0846 栃木県佐野市若松町 |
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入場時間 | − |
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入場料 | − | |||
指定文化財 | 佐野市指定史跡・名勝 | |||
城郭構造 | 連郭式平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 佐野信吉 | |||
築城年 | 慶長12年(1602) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 佐野氏 | |||
位置 | 北緯36度19分9秒 東経139度34分45秒 |
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地図 | 1 | 本丸跡 | ||
2 | 二ノ丸跡 | |||
3 | 三ノ丸跡 | |||
4 | 北出丸跡 | |||
5 | 隅櫓跡 | |||
【歴史】 佐野城は、別名「春日岡城」とも言われ、その地名は、延歴元年(782)藤原藤成がこの丘に春日明神を祀ったことに由来すると伝えられています。慶長7年(1602)、唐沢山城主佐野信吉は、当時この地にあった惣宗寺(佐野厄除大師)を移転させるとともに、築城と町割を開始しました。 今日見られる佐野の街は、当時の佐野城を中心とした町づくりがその原形となっています。佐野氏は、慶長12年(1607)唐沢山城を廃してこの地へ移りましたが、慶長19年(1614)所領を没収されて改易となり、築城後まもなく城は廃城となってしまいました。 城は、独立丘陵を利用した連郭式の平山城で、南から三ノ丸、二ノ丸、本丸、北出丸と直線的に続く郭で築かれています。これら縄張の主郭部は、全体で東西110m・南北390mの規模を有し、それぞれの間は空堀で区切られ(堀切)、内堀へと続いていました。現在、内堀から外堀の範囲は市街地化が進み、完全に埋め立てられていますが、主郭部は当時の城割の姿を良好に留めており、貴重な歴史文化遺産として後世に伝えるべく史跡・名勝に指定されています。 【感想】 JR佐野駅直結で三ノ丸へ入ることが出来ます。 各郭は堀切で区切られており、郭下までは全面崖となっています。下から攻める場合は相当苦労するのではないかと思える構造になっています。しかし、残念なのは築城し始めてたった12年で廃城となってしまったことでしょう。 |
登城日 | 2013年12月30日(月) | ||
LINK | 佐野城-Wikipedia | |||
城主家紋 | 【左三つ巴】 (藤原氏秀郷流) 佐野氏家紋 |
※説明板より |
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【JR佐野駅 城山公園口】 出口が佐野城の三ノ丸です。 |
【三ノ丸跡】 三ノ丸には遊具が置かれ子供たちが元気よく遊んでいました。 |
【三ノ丸の鐘突き堂】 現在、梵鐘はなく外側のみとなっている。 |
【佐野城跡説明板】 | 【佐野城址碑】 | 【万葉の里 城山記念館】 二ノ丸の一角にある。 |
【二ノ丸跡】 | 【二ノ丸下】 急峻な崖となっている。 |
【本丸と二ノ丸間の堀切】 |
【本丸と二ノ丸間の堀切】 | 【本丸と二ノ丸間の堀切】 | 【本丸と二ノ丸間の堀切】 |
【本丸跡】 | 【本丸の石畳と石垣遺構】 実際の物は埋め戻されているが、埋め戻した石垣と通路に沿って出土した石を並べてある。 |
【本丸と北出丸間の堀切】 |
【本丸と北出丸間の堀切】 | 【北出丸跡(鐘の丸)】 橋を渡った先が北出丸となる。 |
【本丸と北出丸間の堀切】 |
【北出丸にある搦手口跡】 | 【隅櫓跡】 | 【堀切下より見た佐野城西側斜面】 |
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【佐野城の移築門】 現在は佐野厄除大師の山門となっている。 |
【佐野城の移築門】 | − |