城名 笠間城(別名:桂城)
住所 〒309-1611
茨城県笠間市笠間3616
入場時間
入場料
指定文化財 城域、時鍾:市指定文化財
八幡台櫓 :県指定文化財
城郭構造 山城
天守構造 二重(詳細不明)
築城主 笠間時朝
築城年 承久元年(1219)
主な改修者 蒲生郷成
主な城主 笠間氏、宇都宮氏、蒲生郷成、牧野氏
位置 北緯36度22分56.95秒
東経140度16分2.93秒
地図 天守曲輪
本丸跡
八幡台櫓跡
二ノ丸跡
宍ヶ崎櫓跡
【歴史】
ここ佐白山は古くから正福寺や百坊があって、信仰の山として栄えていた。鎌倉時代の初め、正福寺と徳蔵寺の両寺院の僧兵たちが争っていたため、下野国からつかわされた藤原時朝が、正福寺と百坊を滅ぼし承久元年(1219)、堅固な城を佐白山頂上に築城した。
これが笠間城の起こりである。

その後笠間氏は18代にわたって笠間を治め、南北朝時代の5代笠間泰朝の時には、南朝に属して勤王の兵を挙げ、北朝の佐竹義春の攻撃を受けたが、籠城戦の末これを撃退している。

天正18年(1590)の小田原征伐の際、18代笠間綱家が宗家の宇都宮氏に逆らい後北条氏に組したため、同戦役後宇都宮氏に攻められ滅亡した。その後、一時宇都宮氏が支配した後蒲生郷成が入城し、この郷成の手により織豊系城郭に改修されたと考えられている。

慶長5年(1600)関ヶ原の戦い後には松井松平家が入り、その後小笠原氏が入ったが改易されて、ついで戸田松平家が入り、そして永井氏が入った。その後、外様大名の浅野氏が2代、井上氏が2代、本庄氏が2代、再び井上氏が3代入った後、牧野貞通入城以後廃藩まで牧野氏8代が居城した。
(wikipedia等参照)

【感想】
笠間城は関東には珍しい石垣の城であるが、東日本大震災の影響でこの城の最大の見どころである石垣部分には立入禁止で入ることが出来なく残念であった。
何とか早く復旧をお願いしたい。

登城日 2014年3月21日(金)
LINK 笠間城-Wikipedia
城主家紋 【藤巴】
(藤原北家宇都宮氏流)
笠間氏家紋

                      

探訪

※説明板より(加筆有り)
【笠間藩校 時習館跡】
現在は、笠間小学校になっている。
【笠間城遠景】 【笠間城主下屋敷跡】
【市指定文化財 時鍾】 【大石内蔵助像】
浅野家2代のころ内蔵助の祖祖父、祖父が家老を務めていたことで建てられているようだが内蔵助自身は笠間に由縁もない。
【治功神社】
【治功神社左側にある登城口】
こちらは搦手道の様である。
【登城道途中の石垣】 【登城道途中の石垣】
ここを上って曲がると本丸の西側に出る。
【本丸西側】 【宍ヶ崎櫓跡】
本丸西端に築かれた櫓で二層の櫓であった。
【本丸西側の土塁】
【本丸跡】 【本丸西側の大土塁】
この上には八幡台櫓が建てられていた。
【八幡台櫓跡】
ここに建っていた櫓は、城下の真浄寺の七面堂として移築現存している。
【本丸大土塁上】 【本丸南端】 【本丸南端にある城址碑】
【天守曲輪虎口と東櫓門・土橋跡】
ここから先が天守曲輪となるが立入禁止となっている。
【天守曲輪手前の堀切とトンネル】 【玉滴ヶ井跡】
【玉滴ヶ井跡】
数年前までは立派な井戸だったようですが、今はその面影もなく埋められ、屋根は無惨にも倒されていた。
【大黒石】
笠間城築城前、正福寺と徳蔵寺との争いの際に、正福寺の僧兵が、徳蔵寺側に向かって山頂から転がした岩がここまで転がってきたという。
【笠間百坊旧跡】
【千人溜り跡】
現在は駐車場となっている。
【大手門前】
目隠し用に土塁が右手側より伸びている(蔀の構え)。
【大手橋跡】
【堀跡】 【大手枡形虎口跡】 【中門跡へ続く石段】
【二ノ門跡へ続く石段】 【二ノ丸跡】 【二ノ丸跡と玄関門跡】
【日蓮宗 真浄寺】
この寺の七面堂は、笠間城の八幡台櫓を移築したもの。
【八万台櫓跡】 【八幡台櫓】
後側より見ると櫓らしく見える。



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