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城名 | 下館城(別名:螺城、法螺貝城) | ||
住所 | 〒308-0021 茨城県筑西市甲611(本城町) |
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入場時間 | − |
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入場料 | − | |||
指定文化財 | 市指定文化財 | |||
城郭構造 | 丘城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 水谷勝氏 | |||
築城年 | 文明10年(1478) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 水谷氏、松平頼重、増山氏、黒田氏、石川氏 | |||
位置 | 北緯36度18分56秒 東経139度58分38秒 |
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地図 | 1 | 本丸跡 | ||
2 | 堀跡 | |||
3 | − | |||
4 | − | |||
5 | − | |||
【歴史】 天慶年間(938〜948)、藤原秀郷(俵 藤太)が平将門追討のために築いた三館(上館・中館・下館)のうち下館にあたるという伝承がある。 下館城は、室町時代の中頃文明10年(1478)、水谷勝氏が結城氏広から下館領を与えられ築城したものである。水谷氏は以後勝国、勝之、勝吉、治持と続いて次第に勢力を拡張し、次の6代政村(蟠龍斎)の頃は5万石を領するに至ったが政村は下館を弟の勝俊に譲って、自分は下館城の北方の久下田城に移った。 次の勝隆の代になって備中(岡山県)に移封となり、水戸家頼房の長男頼重(光圀の兄)が新たに5万石の城主として下館を賜ったが三年後には讃岐高松12万石を賜って栄転、下館を去った。 以後増山正弥、黒田直邦とたびたび城主が代ったが享保17年(1732)石川総茂が2万石の城主として着任してからは、代々石川氏の領分として9代137年間この地を支配し、明治になって廃城となった。 (説明板内容を編集) 【感想】 城域は宅地化が進み、八幡神社が本丸跡とされる。またこの八幡神社と下館小学校との間に堀跡を幽かに残す。 八幡神社の裏手は急峻な崖になっており崖の上に建てられた城であることがわかる。 |
登城日 | 2014年3月21日(金) | ||
LINK | 下館城-Wikipedia | |||
城主家紋 | 【三つ巴】 (藤原秀郷流近藤氏族) 水谷氏家紋 |
※説明板より |
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【説明板】 | 【八幡神社】 | 【下館城址碑】 |
【市指定史跡 八幡神社本殿】 | 【本殿裏手の崖】 写真ではわかりずらいが竹藪の間から下が見える。 |
【本丸堀跡】 |
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【水谷氏菩提寺の定林寺】 | 【水谷家歴代の墓】 6代政村(蟠龍斎)のお墓は久下田城近くの芳全寺にあります。 |
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