城名 女渕城
住所 〒371-0214
群馬県前橋市粕川町女渕1213(おなぶち城址公園)
入場時間
入場料
指定文化財 前橋市指定史跡
城郭構造 平城
天守構造 不明
築城主 不明
築城年 不明
主な改修者
主な城主 高野辺家成、南淵秋郷、足利直義、新井図書允、沼田平八郎等
位置 北緯36度24分46秒
東経139度12分8秒
地図 本丸跡
二ノ丸跡
三ノ丸跡
北曲輪跡
西曲輪跡
【歴史】
女渕城は戦国時代n赤城山南麓にあった城の一つ、要害に広く水濠を用いた平城である。

女渕城は、いつ、だれが城を築いたか詳しくわかっていないが、伝説口碑に、高野辺家成、南淵秋郷の名があり、足利直義、新井図書允、沼田平八郎等の名と共にこの城は古文書戦記に登場する城である。赤城山南麓地方の他の城と同じように、越後の上杉氏、甲斐の武田氏、小田原の北条氏などの戦国大名の侵攻を受け、城主の変遷が多かった。

城跡は東西200m、南北450mの広い地域を占めている。主要部は南北320m、最大幅90mの水濠の東側にあり、低い土居と堀をめぐらして、北から北曲輪、本丸、二ノ丸、三ノ丸(御霊曲輪)、竜光寺曲輪が並んでいる。北曲輪と本丸の東に帯曲輪がある。

本丸は東西40m、南北30mあり、広くて深い水濠で囲まれている。本丸に接する帯曲輪、北曲輪、二ノ丸にはそれぞれ土橋で通じている。西曲輪は本丸の西側の広い水濠を隔ててあり、堀をめぐらしている。その先に外濠があった。城の東側には河川が自然の水濠となった。

天正18年(1590)小田原の北条方の城だったので、豊臣秀吉方の軍勢に攻められ、小田原城落城と同じく、落城し廃城となった。
(城址2つの説明板より編集)



【感想】
濠は護岸工事されているので原形はとどめていませんが曲輪の形状などは変わっていないため往時を想像することが出来ます。
水が豊かで濠の幅も広いため要害であったのも頷ける。



登城日 2014年3月29日(土)
LINK だんべー.com−女渕城址公園−
城主家紋

                      

  
探訪

※説明板より
【三ノ丸跡】
現在は五霊神社になっている
【三ノ丸土塁】 【三ノ丸土塁】
【二ノ丸跡から見た三ノ丸跡と虎口】
間の道路は濠跡
【二ノ丸跡】 【二ノ丸土塁】
【二ノ丸虎口】 【おなぶち城址公園案内図】 【西宿沼】
本丸西側の濠
【十の字沼】
本丸南側濠
【本丸跡】
本丸は一面、地主さんの畑になっている
【本丸の城址碑】
【桂川に繋がる水路】 【丁の字沼】
本丸北側の濠
【北曲輪跡】
【北曲輪の北側濠跡】 【北曲輪橋】 【北曲輪橋から見た西宿沼】
【西曲輪跡】



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