城名 稲付城
住所 〒115-0045
東京都北区赤羽1-21-17(静勝寺)
入場時間
入場料
指定文化財 東京都指定史跡
城郭構造 崖端城
天守構造 なし
築城主 太田道灌
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な改修者
主な城主 太田氏
位置 北緯35度46分34秒
東経139度43分8秒
地図 砦跡
亀ヶ池
【歴史・沿革】
稲付城跡は現在の静勝寺境内一帯にあたり、太田道灌が築城したといわれる戦国時代の砦跡です。
昭和62年(1987)、静勝寺南方面で行われた発掘調査によって、永禄年間(1558〜1569)末頃から天正10年(1582)頃に普請されたとみられる城の空堀が確認されました。
また、静勝寺に伝存する貞享4年(1687)の「静勝寺除地検地地図」には境内や付近の地形のほか、城の空堀の遺構が道として描かれており、稲付城の城塁配置を推察することができます。
この付近には鎌倉時代から岩淵の宿が、室町時代には関が設けられて街道の主要地点をなしていました。稲付城は、その街道沿いで三方を丘陵に囲まれた土地に、江戸城と岩槻城を中継するための山城として築かれたのです。
道灌の死後、この城は孫の資高(すけたか)が居城し、後に後北条氏に仕えました。その子康資(やすすけ)は後北条氏の家臣として岩淵郷五ヶ村を所領しました。
明暦元年(1655)に道灌の子孫資宗(すけむね)は静勝寺の堂舎を建立し、道灌とその父資清(すけきよ)の法号にちなんで寺号を自得山静勝寺と改めました。その後も江戸時代を通じて太田氏は、太田道灌の木造を安置する道灌堂や厨子を造営するなど静勝寺を菩提寺としていました
(現地説明板より)



【感想】
赤羽駅の近くの閑静な住宅街の中に城址があります。場所はちょっと見つけ辛いかもしれませんが、静勝寺を目指せばたどり着きます。
城内(境内)で撮影している合間に、ご近所の方々がこの境内を通路として利用しているようでたくさんの人が通っていきます。城址としての遺構は地形になるのでしょうが雰囲気の良い場所でした。



登城日 2014年4月13日(日)
LINK 北区の歴史と文化財-稲付城跡-
城主家紋 【太田桔梗】
(清和源氏頼光流)
太田氏家紋

                      

  
探訪
【静勝寺入口左側の道路】
稲付城の両脇は坂道となっており、稲付城が崖端に築かれていることがわかる。
【稲付城址】
この階段上が静勝寺で稲付城跡となる。
【静勝寺入口右側の道路】
【稲付城址碑】 【発掘した際に出てきた遺構】
門手前の右側にあります。何かの近所の方々の休憩所なのかと思いましたが、写真を撮っておいてよかった。これが稲付城の遺構です。
【静勝寺東側山門】
【山門から見た境内】 【道灌堂】
この厨子の中に太田道灌の木像が安置されています。道灌の月命日である毎月26日には開帳しているそうです。
【太田道灌の木像】
駅近くの案内板にあった写真より。
【静勝寺本堂】 【静勝寺南側山門】 【稲付城遠景】



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