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城名 | 滝野川城 | ||
住所 | 〒114-0023 東京都北区滝野川3-88-17(金剛寺) |
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入場時間 | − |
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入場料 | − | |||
指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 滝野川氏 | |||
築城年 | 文明年間(1469〜1487) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 滝野川氏、豊島氏 | |||
位置 | 北緯35度45分6秒 東経139度43分47秒 |
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地図 | 1 | − | ||
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【歴史・沿革】 治承4年(1180)8月、源義朝の三男頼朝は、配流先の伊豆国で兵を挙げました。初戦に勝利するも石橋山の合戦で破れて安房国に逃れ。そこから上総国、下総国の諸将を味方につけ、隅田川を渡ります。滝野川・板橋を経て、府中六所明神へ向かい、さらにそこから鎌倉を目指します。そして鎌倉の大倉に本拠を築いた頼朝は、後に鎌倉幕府を初代将軍として、その場所に政権を樹立することになるのです。 この途次の10月、源頼朝は軍勢を率いて滝野川の松橋に陣をとったといわれています。松橋とは、当時の金剛寺の寺域を中心とする地名で、ここから見る石神井川の流域は、両岸に岩が切立って、松や楓があり、深山幽谷の趣をもっていました。弁財天を信仰した頼朝は、崖下の洞窟の中に祀られていた弘法大師と伝えられる弁財天に祈願して、金剛寺の寺域に弁天堂を建立し、田地を寄進したと伝えられます。 この地域は、弁天の滝や紅葉の名所として知られていました。現在、金剛寺が紅葉寺とも呼ばれるところに、この頃の名残があります。 (「源頼朝の布陣伝承地」説明板より) その後、文明年間(1469-1487)に豊島氏の庶流である滝野川氏がこの地に滝野川城を築城したとされ、豊島氏4代目豊島清光の居館でした。 文明9年(1477)、滝野川氏は豊島氏と共に太田道灌と戦うものの敗れ、滅亡し、それとともに廃城したと考えられる。 【感想】 城址としての遺構は皆無で隣を流れる石神井川が唯一の遺構なのでしょうか。 王子駅からの道中には音無親水公園があるので春は桜を、秋には紅葉を楽しみながら城址まで行くことが出来ます。金剛寺の裏手には松橋弁財天洞窟跡があり往時を想像するのも良いかもしれませんね。 |
登城日 | 2014年4月13日(日) | ||
LINK | − | |||
城主家紋 | 【九曜】 (桓武平氏良文流) 豊島氏家紋 |
【滝野川城址(金剛寺)】 | 【滝野川城址(金剛寺山門)】 山門前に「源頼朝の布陣伝承地」説明板がある |
【金剛寺境内・本堂】 |
【石神井川】 城の北側を守る天然の要害 |
【松橋弁財天洞窟跡】 金剛寺の裏手にはその跡示すかのように水辺の公園がある。石神井川の護岸工事で洞窟は姿を消してしまいました。 |
【松橋弁財天洞窟跡】 水辺では小学生が遊んでいました。 今もここは憩いの場なのでしょう。 |