城名 西方城
住所 〒322-0606
栃木県栃木市西方町本城
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 西方氏
築城年 鎌倉時代後期/南北朝期以降
主な改修者
主な城主 西方氏
位置 北緯36度28分21秒
東経139度43分9秒
地図 本丸
二ノ丸
北側の堡塁
屈曲する進入路
井戸跡
【歴史・沿革】
宇都宮氏の一族であった西方氏の山城。
戦国時代には、宇都宮氏の最前線の軍事拠点として重要視されていたと考えられます。
深い堀や高い城壁によって防御するとともに、通路を屈曲、複雑化し、城内に侵入してきた敵を多方面から攻撃できるようにしています。堅固さと技巧性をあわせ持った縄張です。
(案内板より)


鎌倉時代後期、宇都宮氏当主に宇都宮景綱がいるが、景綱の三男武茂泰宗(むもやすむね)の子といわれている遠江守烏丸景泰が初めて西方城を築いたという。

しかし、近年になり西方氏は宇都宮氏の一族武茂泰宗の子貞泰(景泰、法名蓮智)が始祖で、室町幕府が成立して鎌倉府が成立する過程で貞泰の子の宗泰が鎌倉公方から下野国内に所領を与えられ実質的な下野西方氏となったとされる。この説からすると西方城の築城年代は明らかにできないが、南北朝期以降になる。

豊臣秀吉の北条征伐の際、西方氏は宇都宮氏と共に豊臣方であったが、北条征伐後の宇都宮仕置において、北条方に味方した壬生氏や小山氏が滅ぼされ結城氏にその領地が分け与えられたため西方氏の所領西方は、宇都宮氏の勢力圏内属していたが結城領国内の飛び地(陸の孤島状態)になり、それを潔しとしなかったのか西方の地も結城氏所領とされてしまった。そのため西方氏は所領を失い、宇都宮氏から代替処置として芳賀郡赤羽の村々を与えられ移っていった。
(参考文献:関東の名城を歩く 北関東編)


【感想】
実家から近くにあるのにその存在を知ったのは最近で、お盆の帰省の際に父と登城してきた。下野のお城は大したものはないと思っていたのですが、ここまで技巧的な造りをした城址は下野ではあまりみないので驚きでした。
今回、急遽の登城だったため携帯のカメラでの撮影となってしまったのが残念であった。

二回目の訪城は冬場だったことも有り、藪も刈り取られ東の丸まで行け見ることが出来た。
やはり山城は冬場のがいいですね。


登城日 一回目:2014年8月13日(水)
二回目:2015年3月7日(土)
LINK 観光FAN〜西方城〜
城主家紋

                      

  
探訪

※案内板より(加筆あり)
【城址遠景】
この場所に駐車し、直進すると案内板がある。
【案内板】 【登城口】
【竹林内の登城道】
ここも竪堀なのでは?と思われる場所を進む。そして屈曲した部分も見られる。
【後世に作られた炭焼き跡】 【みどころ@ 屈曲する竪堀】
【竪堀】
屈曲した箇所を進むと上に伸びる竪堀が姿を表し、ここら上へと登る。
【馬出し】
竪堀を進むと目の前が開け、そこは馬出し跡になっている。
【馬出し】
馬出しの形状がよく残っています。竪堀の反対側にもしっかりと虎口があります。
【みどころA 北側の堡塁】
最北端に位置するこの小さな曲輪(堡塁)は、北側方面からの敵の侵入に備えていました。
【馬出しと堡塁】 【堡塁と横堀】
西側は斜面となっているため、攻め手は堡塁を囲む堀に沿って進まざるおえなく、その間、堡塁から攻撃が可能。さらに馬出し内へに進むと北ノ丸からの攻撃が加わる
【虎口】
写真左側に北ノ丸に入るための坂虎口がある。ここが正式な虎口。
【虎口】 【坂虎口】
坂の右手は崖になっている。
【北ノ丸虎口】 【北ノ丸の現在の虎口】
本来は先に述べている馬出しを通り西側の坂虎口から南に折れ細い道を通って北ノ丸に入っていた。
【北ノ丸の土塁】
【北ノ丸の櫓跡】
北ノ丸の中ほど西側にある。
【北ノ丸跡】 【北ノ丸南側土塁と虎口】
【みどころC 屈曲する進入路】 【屈曲する進入路】
北ノ丸から三ノ丸(便宜上の名称)へ向かう通路。
【屈曲する進入路】
通路の右側には仕切り土塁がありこの土塁の裏より攻め手を攻撃することができるようになっている。
【虎口】
仕切り土塁の裏手の曲輪に入る虎口。ここは一種の武者溜のように思える。
【土橋】
三ノ丸の虎口につながる土橋、両側は堀となっている。
【三ノ丸(便宜上の名称)】
【三ノ丸からの眺望】
案内図で「ながめの良いところ」と書かれている箇所です。
【二ノ丸の堀切(空堀)と虎口】 【堀切(空堀)】
【堀切(空堀)】 【二ノ丸】 【竪堀】
【本丸の土橋】
左側は竪堀になっている。
【本丸虎口】 【本丸】
【本丸南側にある八幡宮】 【本丸南側堀切】 【本丸南側堀切内】
この堀切の先に本丸東側の腰曲輪がある。
【本丸南側にある石垣】 【本丸南側にある石垣(拡大)】 【本丸南側堀切】
【本丸南側腰曲輪】
南側からの侵入から本丸を守るための横矢がある。
【横矢】
この場所から下を通過する攻め手を側面から攻撃することができる。
【みどころD 屈曲する進入路】
この場所は、東側・西側・南側からの通路が合流する場所で、複数の虎口を結ぶ通路を屈曲させ、侵入する敵を出来る限り側面から攻撃できるように工夫されている。
【本丸南側腰曲輪の虎口】 【枡形虎口】 【横矢下の通路】
ここを通ると左側の横矢から攻撃されることになる。
【枡形虎口前】
左へ行くと南丸、直進すると枡形虎口を通り西側へ。当時は西曲輪(現在は消滅してゴルフ場に)へと続いていたと思われる。
【枡形虎口】 【枡形虎口先の西側の曲輪】
【南の丸の虎口】 【祠】
屈曲する進入路にある土塁上にあり、ここから侵入者に対して攻撃することができるようになっていた。だとするとここに櫓でもあったのであろう。
【祠下の進入路】
【南の丸の虎口脇にある横堀】 【南の丸】 【南の丸南側・武者溜り】
【東の丸へ続く通路】 【水の手から見た本丸方面】 【水の手曲輪】
左手の方形の土塁に囲まれた部分が井戸跡。
【みどころF 井戸跡】
井戸曲輪内に残る井戸跡。
【井戸跡】
石組みが見られる。
【東の丸へ続く城道】
一回目の来訪時(夏場)にはここは藪化で先に進めなかったが冬場は藪が刈り取られ先に進めるようになっていた。城の構造を考えると東の丸から続くこの道が大手道であろう。
【見どころG 連続する虎口】
東の丸へ続く虎口。
【連続する虎口】 【馬出】
連続する虎口の東の丸側は馬出にもなっている。
【東の丸】



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