powered by egmap.jp |
城名 | 渋谷城(別名:金王丸城) | ||
住所 | 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷3-5-12 |
|||
入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 河崎重家 | |||
築城年 | 平安時代末期 | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 河崎重家、渋谷氏 | |||
位置 | 北緯35度39分28秒 東経139度42分23秒 |
|||
地図 | 1 | − | ||
2 | − | |||
3 | − | |||
4 | − | |||
5 | − | |||
【歴史・沿革】 渋谷氏は、桓武平氏良文流秩父氏の一族。秩父重綱の弟基家が武蔵国橘樹郡河崎に住んで河崎冠者と称し、相模国高座郡渋谷庄(現在の神奈川県大和市・藤沢市・綾瀬市一帯)を与えられ、その孫重国のとき渋谷庄司を称したのに始まる。 豊島郡谷盛庄(現在の東京都渋谷区周辺)にも領地を与えられていたようで、渋谷氏の祖・河崎基家が寛永6年(1092)この地に八幡宮(後の金王八幡宮)を鎮祭し、基家の子重家が東に鎌倉道、西に渋谷川が流れ、北東には低い谷地形(黒鍬谷)があるこの要所の地に館を構えて居城としたことが渋谷城の始まりのようである。 渋谷氏は源頼朝が挙兵した石橋山の戦いでは平家方であったが、後に頼朝に臣従している。その後の歴史は不詳だが、大永4年(1524)に北条氏綱と扇谷上杉氏との戦いの中で、北条軍の別働隊により攻め落とされ、そのまま廃城となっている。 現在も金王八幡宮が残っており、境内に渋谷城のものとされる「砦の石」がある。 ※金王八幡宮の由緒には、重家の子が渋谷金王丸常光(後の土佐坊昌俊)と書かれているが、本当なのかどうかがわからない。渋谷氏の家系図にはその名が見当たらない。 参照:家紋World-渋谷氏- 【感想】 渋谷城の跡地に立つ金王八幡宮に訪れるとわかるが、この場所は高台と行っても高台の頂上付近ではないことがわかる。そのため金王八幡宮は渋谷城の一角にしか過ぎないのであろう。 当時を物語るものとしては境内に唯一「砦の石」なるものがあるがこれが本当の遺構なのかは怪しい。ただ都会の真ん中に城跡を示すものがあるだけでも奇跡なのかもしれない。 |
登城日 | 2014年8月15日(金) | ||
LINK | 東京おもしろ雑学〜渋谷の由来〜 | |||
渋谷城-Wikipedia- | ||||
城主家紋 | 蔦の葉 (桓武平氏良文流秩父氏族) 渋谷氏家紋 |
【金王八幡宮入口】 | 【金王八幡宮に関する説明板】 | 【山門】 江戸中期に建立されたもの。渋谷区指定有形文化財。 |
【金王丸御影堂】 御祭神:渋谷金王丸常光 |
【社殿】 徳川家光が三代将軍に決定したとき、守役の青山忠俊が家光の乳母春日局とともに、慶長17年(1612)に造営を開始したものです。その後たびたび修理されましたが、江戸初期の建築様式をとどめている貴重な建物です。渋谷区指定有形文化財。 |
【渋谷城 砦の石】 渋谷城の唯一の遺構とされる石だが・・・ 形状は四角に加工され、表面には飾り彫りが施されてる。これが本当に遺構なのであろうか? |
【金王八幡宮下の公園】 | 【金王八幡宮の説明板】 ここに由緒が書かれてている。 |
【金王八幡宮入口】 裏側の参道となる。 |